0%禁パチ我慢

禁パチを失敗することを表す「スリップ」という言葉が一般化している。

今になってなんか軽々しく聞こえるんだよね。

最初に言うけど、これからも「スリップ」という言葉はバシバシ使っていくけどさ、どうもしっくりこないこの気持ちを綴ってみる。

俺も今まで何十回、何百回もスリップしてきたし、その度に「またスリップしちゃった」とか思ってた。

その言葉の重みのなさが、禁パチに対する敷居を下げている。




おい。

何がスリップだよ。

そんな大きな失敗の事を「ちょっと滑った」ぐらいで表すなよ。

いや、

俺もずっと当たり前のように「スリップ」って使っていたのは事実だから、
自分にも言えることなんだけどさ。

軽すぎるだろ。

甘すぎるだろ。

人生を左右し、最後には人生を終わらせるほどの大失敗なのに。

積み重ねの重要さは常に言っているけど、
積み重ねる事で、思考から習慣になり、やがて身になるんだよ。

腐った脳みそでもわかるでしょ?

でもさ、

スリップ(打つこと)を積み重ねたら、待ってるのは依存だ。

積み重ねることで、

より強く、

より確実に、

自分を地獄へと押し進める依存だ。



やがて習慣になっちゃってさ、
思考も奪われちゃうんだよね。

バカになるんだよ。

気が狂うんだよ。

小さな事でイライラするんだよ。

怒りっぽくなってさ。

情緒も不安定になるね。

つまり、積み重ねるものを間違うと、
本当に死ぬ方が楽な人生が待ってる。


たとえ、たった三日でスリップした奴だったとしても、
またそこに戻るのに三日かかる。

結局倍の六日もかかるのに、
脳みそは三日分の毒しか抜けてない。

もしも禁パチ100日でスリップしたら?

また歳をとっちゃうね。

いくつになったら辞めるの?

ねぇ?

禁パチしてスリップして、
また禁パチしてスリップして、
それは結局・・・

わかるよね。


本人にとっては、たった一回のスリップなのかもしれない。

だけど、

スリップを繰り返すほど、
次のスリップも気軽になる。
慣れてくるからね。
習慣になるからね。

どんどん自分の首を締める。

どんどん抜け出せなくなる。

自己嫌悪。

やめたいと思う強い気持ち。
それを上回るほどの、
打ちたい欲求が押し寄せる。

本当に地獄だ。

生き地獄。

存在価値のない人生。

なんで生まれてきたのか自問自答してさ、
周りに迷惑をかけてさ、
貧相な飯を喰ってさ、
死ぬ間際にどう思うんだろうな。

「パチンコさえしなければ」
「あの日行かなければ」
「もう一度あの日からやり直せれば」
「悔やんでも悔やみきれない」

そういう無念が残るんだよな。

今の俺達には想像もつかない無念なんだろうな。

・・・

えーと、

話逸れた。


たった一回のスリップ?

そんな甘い言葉じゃねーよ。

俺に言わせれば「挫折」だ!

ただね、もし「本気の禁パチ」を決意していたのに、スリップしてしまったのなら。

次に禁パチする時はその二倍の覚悟がないともう絶対に無理だと思った方がいい。

それとね、

何度でも「本気の禁パチ」に挑戦できると思わない方がいい。


今日も財布の金は減らない。

俺の禁パチ人生の展望
まずは「借金問題を解決する」こと。
そして「禁パチ中の暇を埋める」こと。
同時に「仕事の悩みを解決する」こと。
そして「将来に向けたお金の計画」を考える。

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