20%禁パチ我慢

パチンコなんか、この世から無くなればいいのに!

無くなれば打たなくて済む!

パチンコ依存症の時には、本気でこんな風に考えるんだよな。

これってさ、パチンコ依存症は「身勝手」だと言われる理由にもなる。

自分で好き好んでパチンコやパチスロにじゃぶじゃぶ金を溶かして、
挙げ句、無くなればいいという考え方。

これがちょっと違うんだよな。

だってさ、

ダイエット中の人が「お米とかパンはもう売らないで!」って叫んでるのと一緒じゃんか。

「いや、買わなければいいじゃないか」

と思われて、話はそこで終わり。

いいか。

悪いのは炭水化物の方じゃない。

これが「理解」できると、禁パチにも活かせるんだよな。


パチンコに依存したのは全て自分のせい



パチンコに依存してしまったのは、やっぱり自分の責任になるんだよ。

音や光で洗脳されていたとしてもさ、
国がグレーな換金を見て見ぬふりをしていたとしてもさ、
パチンコを「打つ」って事を「強要する事はない」のだから仕方ない。

心底理解できた時、

自分の中で何か弾けちゃうんだよね。
パチンコがどうでもよくなる瞬間がある。

うん。

「白旗を上げる」って事なんだと思う。

パチンコの負けを認めるって事だよね。

でも、これがとっても難しい。


パチンコに負けた悔しさでリベンジを繰り返してきた



だってさ、パチンコ依存症になる過程で「リベンジに燃える」って事を、繰り返し繰り返し何度も何度もパチンコしてきたんだよな。

ある日、あなたの負けですって。

おい!

ふざけるのもいい加減にしろ!

まだ勝負は終わってない!

ATMに行ってくるから待っていろ!

金を借りてくるから待っていろ!

って「熱く熱く」燃えたぎって生かされてきたんだよ。

いきなり他人にストップされて心が納得できるわけがない。

ほら。

例えば「パチンコ依存症外来」なんてさ、
根本的な解決になりにくい理由もわかってくるじゃんか。


パチンコに依存するなと他人から言われて感じる事



赤の他人に「パチンコはやめなさいよ。家族にも迷惑がかかりますよ」って。

おい!

ふざけるのもいい加減にしろ!

お前に何がわかるって言うんだ!

俺の何を知っている!

あの台にいくら使ったと思ってるんだ!

って「熱く熱く」燃えたぎって生かされてきたんだよ。

結局自分が「白旗を上げる」までは、どんな療法も届かない。

隔離施設なんていう物だってあるけどさ、
時間の経過で記憶が薄れるのを待つ狙いも大きいんだろうな。

毒抜き。

その時の怒りや感情なんてさ、
何年も後に考えると「馬鹿らしくなる」もんな。


だがしかし、禁パチをしたいって気持ちは本物



でもね、パチンコ依存症が禁パチしたいと願う気持ちは、本物なんだよ。

至って本気。

禁パチを決めた次の日にパチンコに行ってしまうような極度のパチンコ依存症だとしてもね。

だから悶える。

そしてさ、

「俺はどうしたらパチンコがやめられるんだ」

と悩む。

ふふふ

それでいいんだよな。

行きたいも本当。
辞めたいも本当。
矛盾している2つの意思が共存してるだけなんだよ。

ほら。

よくさ、

耳元で天使と悪魔が囁くって例えがあるけどさ、
どっちも「自分」なんだもんな。

それだ。それ。


パチンコ依存症は葛藤して楽を選択する



天使と悪魔って言うとさ、どっちかが悪者だよな。

でもさ、

「今日だけパチンコ打って明日から禁パチしよう」

っていう発想ができるんだよ。
これって一見悪魔の選択だけど、
悪魔っていうほどの出来事にならない。

だってさ、

本人は本気で明日から禁パチするつもりなんだから。

大真面目。

できない約束と思っていない。
今日だけ行けばもう絶対に辞められると思ってる。

普通さ、

「葛藤」した上で出す「決断」には痛みを伴ったりさ、損を許容したりさ、どちらかを諦めるはずじゃんか。

でもよく考えてほしい。

今日パチンコをできて、
明日禁パチができて、
両方を掴み取ろうという選択なんだよ。

おかしいよな。

おかしいだろ。

うん。


今日の行きたい欲求を踏ん張るという決断



早い内に頭を掻きむしるほどの「我慢」を超えちゃえよ。

禁パチ猛者達の誰だって「行きたい」の欲求を抑え込む日々があったんだよ。

魔法使いのように禁パチできるようになるまでにさ、そういう日があるんだよ。

まずは、

それを「認める」んだわ。

そうするとさ、「禁パチする方法探しの旅」に意味がないってわかるんだよ。

禁パチができない人っていうのはさ、
何か禁パチに魔法があると思ってる。

少しでも簡単にやめられる方法がきっとあると思ってる。
それが見つかったら「本気出すから待ってろよ」と思ってる。

そうだよ。

俺はそうやって「いつか禁パチするんだ」と思ったまま歳をとった。



今日パチンコをしたパチンコ依存症には白旗を上げる権利がない



パチンコをして負けた瞬間に込み上げる感情。

「もう二度とパチンコしない」という「守れた事がない」アレだ。

なんで守れないのか。

そりゃさ、

パチンコ屋が無くなればパチンコを打たなくて済む!

っていう発想だからなんだよ。
何も認めず、他者や他の物事のせいにした答えの出し方。

自分を否定しているようなもんだ。

だから、

ハリボテのような人生になる。
切り貼りの人生になる。
自分の影が薄い人生になる。

自分が自分を認める事もできないんだからね。
だからさ、一時的な感情で決断している内は「白旗を上げる権利」すらない。


パチンコ屋が無ければ幸せだったのか?



あぁ、何の話していたかまた忘れるところだった。

実際さ、パチンコ依存症はさ、パチンコ屋が無ければ助かっていた人だってそりゃいるだろうね。

でもさ、そんな事を一生懸命考える「意味」って何なのか。

パチンコを月に一度楽しみにしているユーザーが本当に居るのなら、その人にとっては「娯楽」なんだよな。

この世から無くなれなんて、言う権利もないのかもしれない。

ニコチン依存症にしてみればタバコ。
アルコール依存症にしてみれば酒。
この世から無くなって欲しいよな。

うん。

本当はさ、すごく理解できる心境なんだよ。

俺はずっとずっとそうやって生かされていたんだ。

でもそうじゃなかった。

もう一度だけ言っておく。

そうじゃなかった。

否定から入っちゃだめだ。

逆だ。

逆なんだ。

自分の外側ばかり見ていないで、
内側に目を向けてみるときっとそこに答えがあるぞ。


今日も財布の金は減らない。

俺の禁パチ人生の展望
まずは「借金問題を解決する」こと。
そして「禁パチ中の暇を埋める」こと。
同時に「仕事の悩みを解決する」こと。
そして「将来に向けたお金の計画」を考える。


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喜多川 泰
ディスカヴァー・トゥエンティワン

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