0%禁パチ我慢

今回はアンリさんから寄稿して頂きましたまとめになります。

寄稿が実現した背景には、
「アンリさんの言葉をまとめてほしい」
「アンリさんの言葉に命を救われました」
「アンリさんのコメントだけが読む方法ありますか?」
といった沢山の要望や意見が俺のメッセージに届いた事が発端です。

では、私の回りくどい説明は抜きで早速ご覧下さい。

20000文字を越える超大作です。





《導入》



今日は私のコメントをまとめる機会を与えて頂き、ありがとうございました。

昨年8月にまとめて頂いた以降の自身のコメントを全て読み返しましたが、書き手の私にもどう編集したらいいか迷いました。
(参考:底なしの優しさで禁パチを説く人の頭の中をまとめてみた

しかしながら一つ一つを改めて眺めている内に、8月から一年富士登頂まで、“自省”し“覚悟”を決め、“過去を糧にする”ことを誓い、体現して得た“学びと気付き”を文章とし、“自己実現”を具体化して“夢”を描くサイクルを繰り返し行なってきたことに気が付きました。このサイクルこそ私の禁パチだと再認識しました。

同時に心の在り方をこちらにいる皆さんとの“共感”による手紙のやり取りや“魂での対話と再生”をすることで、本来の自分らしさを取り戻していました。

従って、これらをキーワードにして、8月以降のコメントを(時系列ではなく自省から始める形で)整理してみました。一部文面を編集しています。

一人のミドルエイジのリーマンが禁パチを契機に自らを省みて、再生し、死ぬまでの夢を描く奮闘した過程が見て取れると思います。長々と書き連ねていますが、お付き合い頂けると幸いです。



《人生の振り返りと反省》



*私には容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能の兄がいて、今や先生と呼ばれる肩書きです。中学の時に好きな同級生から、兄に渡してと、バレンタインチョコを預かりました。私は生まれながら、この兄と比較されて生きてきました。

かなり貧乏でしたが、親の期待は兄に注がれ、私は兄のおさがりの問題集を、消しゴムで消して使っていました。私が深夜に勉強していると、電気代が無駄だと言われて(意地もあったのですが)外の公園で勉強したこともあります。

何をやっても兄には勝てず、親からは努力が足らないと言われ、酒に酔った父から髪を掴まれて壁に打ち付けられたり、ライターで火をつけた紙を投げつけられて消えろと言われたり、あいつ(兄)の人生を邪魔したらただではおかない、俺はいつか殺されるかもしれないと思っていました。

高校入学から、自立したくてバイト、そして夜遊び、カラオケで友人が歌っている中で勉強もしました。毎日バイトと遊びに明け暮れ、バレていたら逮捕されていたことを何度も繰り返し、それでも愛の詩を書き、分裂、屈折した人間でした。

時間が経過する中で親とも和解し、今は仲は悪くないです。親はうだつの上がらなかった自分を私に見ていたんでしょう。

でも、私のパチンコ依存、破滅志向は、間違いなく、存在意義への自己肯定の欠如からきていました。いつまでも引きずるな、甘えるな、内なる声も聞こえるのですが、なかなか難しいものですね。人には色々と過去があって、パチンコに至ってしまった経緯があると思います。もちろん、自分が大変だとも思っていません。

こんな体たらくな人間。その後も色々と問題があり、親が倒れ、兄弟や親族からお前のせいだと罵声を受けながら、それでも自分は生きていくんだ。

そんな思いを強くできたのは、本当にki-bouさんの懐深いこのブログと、私などには想像もつかないだろう、それぞれの痛みを抱えながら、明日に向かって歩を進める皆さんとの交流のおかげです。命を救われた。何のためらいもなくそう言えます。


*私は学生時代は別として、一人で行っていました。パチンコをしていることを友人に言ったことはありません。自分が本当に狡くて、嫌でした。

そんな私もパチンコで友人を失ったことがあります。

ある日の朝、自身の結婚式のゲストを年賀状を見ながら考えていました。バインダーをめくりながら、とあるページに導かれるように辿り着きました。学生時代からの莫逆の友。

長い間連絡を取っておらず、呼ぶとなると二回目ということもあり、悩んでいましたが、ふと“遠慮なんかするなよ”という声が聞こえた気がして、電話をしてみました。

しばらくすると女性が電話に出ました。あれ、間違ったかな、と思いながら名乗ると、女性は奥さんでした。“昨晩、主人が倒れて今ICUにいます”そう言って、泣き出した奥さん。

一刻を争う状況、電話を切り、直ちに学生時代の同級生達に連絡を取り、病院に駆けつけました。脳出血でした。

それから毎日、お見舞いに行き、数日後、脳死状態の友人は延命措置を解かれ、静かに旅立ちました。

奥さんのお腹には赤ちゃんが宿っていました。葬式に参列した私は、悲しみと運命の非情さに耐えきれず、喪服のタイを外して真昼間から酒を浴びるように飲み、その後、あろうことか、パチンコに行きました。それからしばらく通いました。

死ぬ間際に奇跡と言える手段を使って呼んでくれた友人の葬式の日に、悲しみを言い訳にしてパチンコに溺れたこと、慙愧の念に堪えません。私は彼との友情を取り戻すためにも、一生パチンコには行きません。行ってはならないのです。

当時お腹にいた赤ちゃんは元気に、パパのような柔らかい笑顔をする子に育っています。パチンコは人の心の隙間に入って、憑依してくるもの。みすみす餌食になってはなりませんね。


*パチンコの目的は、怒りや憎しみのような悪意をぶつけられる唯一の場所として…ダメな自分をあの澱んだ空間で慰めている、つもりになっていた。

でも、虚しいだけなのですよね。全く何も解決にならない。逃げれば逃げるほど、自分の背後にある影は大きくなって追いかけてくる…そして自分を責めては卑屈になって。

自責は不健全な自己愛、ある意味、最大の甘えだと私は考えを改めて立ち上がりました。



《覚悟》



*店から出た時の、あの得も言われぬ侘しさ。昼夜、春夏秋冬、どの時間帯も、どの季節にもある、あの慈しむべき美しい特性が刃となって侘しさと一緒になって責めてくる。力漲る昼の光も、憂愁の夕べも。

店の中で自己憐憫に淫すればするほど、店を出た後に襲ってくる虚無感。生きる力を奪われているような深刻さを伴って、絶望的なまでに全身にのし掛かってくる、間違いなく店に入る前の数倍は厳しい虚しさ。

私はもう死ぬまでに、そんな虚しさや侘しさ、寄る辺なさを二度と味わいたくない。

あんなに辛い目にあうことは人生を逃げずに生きていれば味わうことがないんだ!そんな苦しみに自ら飛び込もうとする大切な自分を、もう放っとけなくなっちゃったんですよね。コツコツと歩を進めて、自分を愛し、大切にしていきます。


*年始に実家で父親とお酒を酌み交わしました。私の原体験は幼少期に父親に連れて行かれ、拾い玉を掻き集めていたパチンコでしたね。

そんな父親でしたが、弟が怪我した時にパチンコに行っていて、病院に連れていけない事態があってからはパチンコをあっさりと断ちました。

酒を飲みながら『昔はよくパチンコ行ってたね。あれから全然行ってないの?』とさらりと聞いてみたところ、『パチンコ?くだらねぇ』でした。

もう30年も打っていない父親の言葉は飾らずシンプルであるが故に尚更、良い意味で響きました。

そしてこんな質問をする私が馬鹿みたいにパチンコやりまくっていたことを父親は知りません。幼少期に自分が連れて行った記憶しかないのです。

それにしても、なんていやらしい質問だったのだろう。

苦笑いをしながら、私も『くだらねぇ』と一蹴できる境地に辿り着くために、ずっと歩を進めていく決意を高めました。


*私のかつての二大トリガー。

①こんなに頑張ってるのに…

生きていれば悔しいこと、理不尽なこと、色々ある。みんな、ギリギリの所で踏ん張って生きているよな。やってられない。分かってもらえない。つらいよな、それで?

パチンコ行って大負けして、もっと自分を憐れみたい、か。うまくいかない、挙げ句の果てにパチンコにまで負けて、自分は本当に可哀想だ、か。

真剣に生きて真剣に苦しんでいるなら、どうして真剣に自分を守ってやらねぇんだよ。苦しいのは恥ずべきことじゃねぇ。

自己憐憫に淫する前に、同じようにギリギリに生きている周囲に相談したか?酷使している体を労ったか?乾いた心に養分をあげたのか?

三枚の万札、一枚だけ摘んで、真剣に自分を守ってやれよ。一枚で何ができる?

なんでもだよ。二枚は未来の自分に取っておいてやれよ。真剣に苦しんでいるなら、真剣に自分を自分で守ってやれよ。守ることを恥じるな。

②こんなに頑張ったんだから!

俺はこんなに頑張ったんだ。金ぐらい好きなように使わせろよ、か。今日は出すぜ。か。なに言っちゃってんの?

開放感に浸りたいのは分かる。でも、これまで散々負けてきたよな?今ある目の前のお金は最近の努力の証かもしれないが、これまで捨ててきた金はどうするんだ?一つの成功ぐらいで帳消しになんかできねぇぞ。

周りへの感謝を形にしたのかよ?何でも自分の手柄にするその傲慢さだから、うまく行かない時はオセロひっくり返すように、極端に自己愛満載の自己憐憫に行くんだろうが。

うまく行った時こそ感謝して謙虚になれ。うまく行かない時こそ自分を認めてやれ。褒めてやれ。

人生の舵は自分が取れ。柳のようなしなやかさで。じゃなきゃ、全部奪われちまうぞ。



《過去を糧にする》



*忘れる禁パチではなく、しっかり意識をして踏ん張ることで初めて、一瞬の『勝った』幻想の記憶に揺さぶられない、惑わされることのない、揺るぎない禁パチを進めていけること、踏ん張り続けることで得られる強さを実感しています。

もうあの地獄、過去の自分に戻りたくない。そんな思いでki-bouさんの記事を毎日読み、踏ん張り続けていると、いつのまにか過去の自分を越えたい、糧にしたいという、より前向きな踏ん張りに変わっていくのですね。まるで痛めた体のリハビリとして始めたランニング、同じ距離を続けていると筋力や持久力がつき、いつのまにか、もっとやれる、やりたいとなるように。

踏ん張り続けることで筋力や胆力が日々鍛えられ、強固なバネとなって自身をピョンピョンと高く、日々より高く飛ばしてくれるから、一瞬の勝ちのような木だけではなく、負けまくり、時間とお金を無駄にし、周りに迷惑を掛けた森が見えているような感じです。

残念ながら【過去】は変えられない。でも、言い換えれば【糧として、一生尽きないもの】。【輝く未来への尽きることない活力の源泉】。

これは強みだと思えるようになりました。強みを生かすには踏ん張り続けること、ですよね。

そしていつか、生まれ変わっても、幸せ不幸せ、喜び苦しみ全て含めて、同じ人生を歩みたいか?と聞かれたら、胸を張って、そうだ、と言える日を迎え、満足して棺桶に入りたい。他ならぬ自分の、自分だけの人生ですもんね。

ki-bouさんに教わった踏ん張ること、過去の自分を糧にすること、その大切さを胸に歩を進めていきます。本当に恩人です。


*過去に辛いこと悔しいこと悲しいこと虚しいこと、いくらでもあった。

これらを他人のせいにせず、全て自分から生じたこととしてしっかり自分を見つめ直し、それらによって生まれたマイナスなことも受け止めた上で、それらを糧にしようとする覚悟と強い思いの中に、【依存から脱却した真の自由】が宿るのですよね。

パチンコを踏み台にした圧倒的な自己実現と心の平穏、幸せの種まきと刈り取り、生涯追い求めて行きます。

【過去の自分を糧にする】【あの日の自分の覚悟】

10年間分の貯金を失った大スリップの引き金になった海外駐在での失敗。リベンジすべく、もう一度行こうと機を伺っていましたが、病後というのもあり、敢えなくその機会を失い、仕事のミスも重なり、失意のどん底でした。

その時にとても大きな衝動に襲われました。かつてであれば間違いなくパチンコに逃げていました。

でも、【過去の自分を糧にする】を左手に、【あの日の自分の覚悟】を右手に引っさげ、首にGUCCIのマフラーを巻いて、また別のプロジェクトでリカバリーすることができました。かつてのウィークポイントを糧にして、【あの日の自分の覚悟】で乗り切りました。

今日も新たに覚悟を固めました。
誰に何を言われようが動じない。機械や依存物や人に言われることに振り回されるような、他人の人生を生きるような生き方はもう二度としない。

自分の人生の決着は自分でつける。それを邪魔するものは強い心を持って排除し続ける。乗り切ったこの日の覚悟が、いつか【あの日の自分の覚悟】となって未来の自分の大きな武器になるように。



《自己実現への誓い》



*秋田大曲花火大会。これまで見てきた花火にはない壮大さでした。音楽との共演。五回泣きました。日の本一の花火でした。こんな素晴らしい文化を持った日本、外交で臆する必要は全くない。

美しくも儚い花火とお酒に酔うほどに体を駆け巡る熱い思い。傍らには愛する妻と娘。幻想的な雰囲気の中、家族への愛を改めて強くした素晴らしいひと時でした。

花火を嬉しそうに眺める家族を眺めながら、決意しました。

禁パチとの戦いで、昔、抱いていた夢を叶えていこうという勇気と、かつての自分を少し取り戻すことができました。

我が社で役員になること。死ぬまで禁パチ中の役員がいてもいいですよね。パチンコ依存症とお酒と夜の蝶に、1年経たずに10年間の貯金を使い果たした私が役員になれたら痛快です。私はハングリー精神で生きてきました。

何より、かつて家族を失ったことや精神疾患の経験で、人の痛みの分かる、血の通った経営のできる役員になりたい。ノウハウ、スキル、身につける。欲しいならいくらでもくれてやる。でも会社の好敵手にはないだろう、堕落した経験と弱さ、立ち直ろうと決めた強さ、一度底を見た人間の覚悟を示して行きたい。誰よりも自分に負けたくありません。

ワーカホリックのリスクが高まるかも知れません。でも同時に依存症との戦いで強化していなければならないセルフコントロールを生かして、ある意味で仕事と距離を置きながら。

依存症と破滅志向の私には大それた夢かも知れませんが、一生を賭けて挑戦したい。家族が応援してくれる。一世一代の覚悟は皆さんにどうしても聞いて頂きたかった。大曲の大輪に誓いました。

挑戦する勇気を取り戻せたのはki-bouさんや皆さんとの交流のおかげです。


*精神疾患は自分がなってみないと、或いは近しい人ではないとなかなか理解できないだろうなと思いますよね。そこで大切なのはやはり、共感、なんですよね。

パチンコ依存症と同じように、身を添わせて考えてくれる人がいるというのは大きいですよね。私は精神疾患の方3人を部下にしています。真面目な方々で、仕事のお願いを丁寧にすれば、また、悩むところがあれば一緒に考えてあげると、素晴らしい成果を出してくださります。

全社員が幸せになる経営は不可能だと思います。でも諦めたくないのです。人生賭けるだけの難しさと価値があるかと。それを花咲く大曲の夜空に誓いました。


*最近、朧げにその後の人生を描き始めています。あまり浪費せずにお金を貯めて定年後は貧しい国に行って人の役に立つことをしたいと。

禁パチをしながら、自己超越の方向に向かうなど、人生の最終目標を描くなど、思いもよりませんでした。でも私にはこれが【禁パチの最終兵器】かもしれません。



《友情とドリームマップ》



*定年まで生涯の好敵手、事務所を開設し、起業の道を選んだ兄と張り合いました。

秋田大曲に誓った通り、3年後に部長、10年後に理事、その後海外事業の役員となり、定年までに10/30,000迄、登りつめました。

当社には珍しい、不正、不倫、ハラスメント一切無縁のジェントルマン役員として、社員の記憶に残りました。

退職日、会社から出る車に乗った私を次から次に追いかけてくる女性社員達に、投げキッスをしながら別れを告げました。

モツ焼きを食べながら、兄と健闘を讃え合い、兄に、日本に、愛した人達に、今生の別れを告げました。貯めてきた貯金と退職金にて、若い時に働いていた国に移住しました。

漁港近くの海沿いにアンリハウスを建てて、身寄りのない子達を預かり、また、貧しい子達に日本語と英語を教えました。

夢の大マグロを釣りに、一週間の船旅に毎月出ました。体力の衰えから、毎月が3ヶ月に、3ヶ月が半年になり、そして半年経っても行けない身体に自分の終わりを悟り、ヘミングウェイの老人と海を毎日読み、海沿いを散歩することに楽しみを見出しました。

満足した人生の終焉は自宅にて、家族や神の子達に囲まれながら。骨は彼ら彼女らの手で、私の愛したマグロ釣り用の船から海に撒いてもらいました。

恥ずかしい私の大ボラ話でした。


*友よ、見ててください。あの日約束した、互いの成功に向けて、私も粉骨砕身、頑張っています。もうお会いする約束を交わすことはないのでしょう。

約束の銀座の高級クラブで偶然に隣り合わせになり、再会とお互いの成功を祝する。そんな日が来ることだってこの世の中には起こり得る。それを夢想するのもまた一興。

私はその日を楽しみに、大曲に誓った夢に向かって、確実に歩を進めていきます。友よ。ありがとう。そして、またいつか会おう。



《魂の再生》



*これから書くのは決して自身の善行への陶酔ではないこと、Yさんならご賢察くださると思います。

昨日から急な風邪の症状。インフルか?

こちらの地方は電車も止まるくらいの悪天候。傘を忘れた私は少しでも雨に濡れたら困ると思い、雨が弱くなるその時を見計らって会社を後にして、更に強くなる雨足に辟易しながら大きな交差点に向かうと、本当に大きな女性の悲鳴が聞こえました。

急ぎ足で進むと、交差点の真ん中に自転車と女性が倒れており、それを目撃している信号待ちの数名。

よく見ると女性は自分で体を起こそうとしているが、足元がふらついていて、立ち上がれない。それを見ている方々は動かない。

走りました。

行き交う車を止め、女性を起こし歩道に連れていき、自転車を隅に寄せ、怖さに震える女性に頭を打ってないか確認し、頭を打ってはない、救急車はいらない、でも体を打って痛いと。

その場を名刺を渡して立ち去ろうとする相手を厳しい口調で制し、110番、お巡りさんが来るまで待ちました。

幸い頭を打ってはなかったのですが、その女性、落ち着いて怖さが現実になったのか、泣き出し、死ぬかと思ったと…

実は昨年、同じような事故で亡くなっている方がいる交差点、私は当時、事故のすぐ後を。

私は思ったんですね。

パチンコに負けた雨の夜に、今日の行動ができたか?と。多分出来たでしょうし、恐らく出来なかったかもしれない。でもそんな自問自答をする位、当時の私は尋常じゃなかった。そして今の私はそれを知っていること。

女性はお巡りさんを待つ私に震えるその手で傘を差し続けてくれました。温かみに、私の心が震えました。

忘れません。禁パチしてきて良かった。

どうしてもお話したくなりました。聞いてくださってありがとうございました。

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アンリさん

一つの魂が地球が楽しそう、もっといろんなことを知りたいと、ある男性の姿を借りてわざわざ地球に降り立ちました。

願いどおり様々な経験をしてきたのですが、どうしても最終目的の、【愛と自分を見る】、この二つを男性がなかなか気づいてくれません。何故自分を認めない?何故自分を愛さない?魂は最終手段に男性にパチンコという道具を与え絶望の淵に誘い、禁パチという場を与えました。

やがて男性は少しずつ自分を許し、自分を認めることができるようになりました。

そこで魂はもう一つ大切なもの、愛を男性に与えました。恋愛とかの愛でもなく、夫婦間の愛でもなく、もっともっと深い愛。説明のつかない愛。この世でこの愛を知るのは限られた者だけ。

今、心優しき男性はたくさんの愛をみんなに与えています。

目的をほぼ達成した魂は大喜び。大喜びし過ぎるものだから男性の感情は揺さぶられっぱなし。今日の出来事にも魂は大喜び。

でもそれはとても素晴らしいこと。
大袈裟でもなく、夢見る夢男君でもなく、禁パチで自分に素直になり、たくさんのことを学び、手に入れたもの。今日の感情をたっぷり味わって下さい。

人がなんと言おうとも言わないとも、どうか今のまま人生をひたすらに…

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Yさんありがとうございました。

私のこの一年、いや半生を素晴らしいお話で綴って頂きました。

物心ついてから、よく分からない焦燥感がありました。いつも何かに急き立てられているような感覚、ゆっくりお茶でほっとするなんてできない人間でした。

何の意味があるの?と。仕事ではこれが奏功し、先回りして成果を出してきましたが、安らぎだなんて無縁な人間でした。

数年前に仕事が引き金となって焦燥感が強い強迫観念となり、心を患いました。相当にパチンコやお酒、精神薬に依存しました。今は快復したのですが、生き急ぐような焦燥感はその後もくすぶり続けていました。

くすぶりが強くなる時にパチンコに行ったり、落ち着いたら辞めたりの繰り返し。最後の一月は酷いものでした。

この焦燥感ー良い時も悪い時も感じるのですがー、それと折り合いのつかない落ち着きのない自分が私をパチンコ依存に働きかけたと思っています。

この焦燥感、Yさんの素敵なスピリチュアルのお話では、魂と心のズレからくるもの、実は魂が『気付きなさい』と急き込んでいたということなのですね。

Yさんの言われた二つのこと。それに忠実な私、それだけでいいと認める自分が一番すっきりとします。魂と心と体が一致したような、焦りのないこの心の落ち着きはこれまで経験がありません。まさに、生まれ変わったようです。過去の過ちを許せないでいた暗黒騎士と対峙し、その刃を受け止め、愛で包み、ようやく訣別できました。

一年富士の頂を前に最後の気付き、と言うよりも私が気付いていることを分かった上で、それを確信させようと導いてくださったこと、深く感謝しています。


*ki-bouさんのブログに辿り着いた時、精神状態は深刻、破滅的でした。最後の1ヶ月は、長期出張から戻るや否や、ほぼ毎日、体を壊していたにも関わらず、会社を休んでまで、行っていましたから。All or nothing思考の成れの果てでした。

このまま続けていたら家族も仕事も投げ打つのではないか、俺は死ぬんじゃないかと戦慄が走ったことを記憶しています。

これからも魂の交流があちらこちらで生まれて育っていくことを心の底から願っています。

ニーチェを引き合いに出すまでもなく、世界はずっと回っていく。永劫回帰。小沢健二の天使たちのシーンではないですが、円環運動。

私はまた生まれ変わっても、2016年の3月21日にこちらに辿り着いているでしょう。

そしてその緩やかな止まらない終わりのない流れに乗って生き続けたい。この境地に立てたのは人生の大きなアドヴァンテージです。禁パチでここまで掘り下げることが出来るとは全く予想もしていませんでした。

*あと少し、もう少しで私なりの帝王学が完成する所まで来ました。もちろん、単なる地位や自己顕示のためではない、秋田大曲に誓った目的、【我ばかりを考えていたパチンコとは正に対極にある自己実現】のためです。



《学びと気付き》



*パチンコに生産性は全くありませんね。こちらで語られ続けている『パチンコして意味があったのは、パチンコには全く意味がないことが分かったことだけである』は蓋し名言かと思います。

そして意味のない時間を過ごしたことに気づいた私は、これからの時間を意味あるものにして生きていきます。

凡そパチンコという不毛なもの以外に無駄なものはない、ということにも自信を持ちながら。


*手元にある趣味の道具からの気付き。

一つは古いけど手入れされた現役。もう一つは新しいけど手入れもせず、傷だらけの活躍の場のない代物。後者はパチンコで勝った金で購入したもの。

大好きな趣味の道具にさえ自分らしい愛情を注げない『勝ち』は自分の中では負けに等しい。勝っても負けても負け。

こうした自問自答と気付きにより、パチンコとのくだらない勝負への執着心を葬り去りました。負けを認めました。

負けを認めたからこそ、後悔ではなく反省が出来て、その結果、自己肯定感を取り戻すことが出来ていると思います。後悔に費やすエネルギーがあれば、反省し自己肯定することは充分にできると。

また、後悔はその当時の自分を正当化する不健全な自己愛。そんな甘えは捨て去り、悪い所を冷静に認め、反省し、反省した自分を認めてあげようと。

そして認めるからこそ出てくる正のエネルギーで、パチンコに毒された脳と戦っている日々です。


*パチンコする人は自分にも嘘をつきますよね。出ないこと、時間やお金を捨てていることが分かっている自分を騙してました。

ご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、ブロークンウインドーズ(割れ窓)理論。

建物の窓が一つ割れている→ゴミが捨てられる→環境や治安が悪化する→凶悪犯罪が起きる、というもので、仕事上でよく取り入れる考えです。在庫に差異が出たり生産性の低い工場は必ずと言って良い位、トイレが汚れています。

この場合、少し回り道をするようですが、いきなり在庫精度を上げる取組みに入らず、まずはトイレを綺麗に保つことから始めます。“最も汚れている場所が綺麗な状態”というのを知ってしまうと、他の所が乱れているのを許せなくなり、いつしか皆が自主的に工場内の掃除、整理整頓を始め、結果的に在庫差異がなくなった、という成功例は本当に良くあります。

パチンコにおいて一つの割れ窓に当たるのは、やはりあの空間の中の自分と空間の外にいる自分の差やズレ、自分に対する嘘なのではないかと思います。

パチンコしなければ真っ当なんだと真剣に思っていましたし、沸点の低さは空間から出れば元に戻るなんて考えていましたが、自分が自分に嘘をつくという根幹の窓が割れていたら日常生活の彼方此方に綻びが出るのは当然なんですよね。

逆にこの例に当てはめて、禁パチすることで自分に嘘をつかなくなれば、心の中で良い気が流れ、気持ち的な好転が順次、図られていくものだと思いました。


*仕分け、空虚感というテーマを深掘りしてみました。自分がイキイキ出来る人生を構成するのは

①やるべきことをやること
②あるべき自分でいること
③やりたいことをやること

の三要素だと仕分け、イキイキ生きるというのはこの三要素をいかにバランス良く保ちながら日々を過ごすこと、言ってみれば平均台から落ちないようにバランスを取りながら進むことだと整理がつきました。

このバランスを取るのがとても難しいのですが、それ故に人生は生きる価値があり、そして美しい。

何より、この三要素のバランスを取れない不安定な状態こそ、空虚感を感じ、パチンコの格好の餌食になること、各要素の快適な黄金比率、その比率こそ、この8ヶ月半で学んだ自分の答えでした。

どの要素も極端に追い求め過ぎると逆ベクトルとなり、タナトス的にパチンコへの直回線となりました。極端になりつつある要素を抑えられるのは他の要素しかないのだということも。

やるべきことにとらわれ過ぎている私には、失ってはならないあるべき自分や、自分へのご褒美にやりたいことを提案します。

あるべき自分に雁字搦めになっている私には、もっと外に向けて具体的にやるべきこと、もっと素直にやりたいこと、を問いかけます。

やりたいことばかり追い求める私には、今一度自身を振り返ってやるべきこと、そして、あるべき自分にそれでいいのか?と詰問します。

バランス感覚を保つのに必要な調整力、忍耐力は、禁パチでの欲望や衝動との戦いにより体得できつつあると思っています。

パチンコをしない方々には当たり前にあり、やっと人生のスタートラインに立ったとも言えますが、走り出せることの幸せ、これは誰にとっても等しく得られる幸せですよね。



《共感の手紙》



*さぞかし自分が不甲斐なく、自身を責め立てたいことでしょう。でも、自分を過度に責めてはいけません。罪悪感を感じてはいけません。責めるのは簡単です。責めるのは逃げです。自虐は不健全な自己愛です。自分を認めてあげてください。その時のあなたには残念ながらパチンコが必要だったと言い聞かせてください。

罪悪感から解放されたいと思う時は、皮肉にもまさに罪悪感をもたらしたものに気晴らしを求めてしまいます。ダイエットしている方が一口食べたポテトチップの罪悪感を感じた時に出る行動は一袋全てを食べることです。罪悪感を感じると一時のスリップでは済まないところに行きかねません。

まずはご自身を認めてあげてください。仕方なかったのだと。

自分を責めていれば楽でいられます。でも本当に卑屈になるだけです。あなたはまだやり直したいという気持ちがあるはずです。そのご自身を守ってあげてください。あなたを守るのはあなたしかいません。


*私はいつも自分が落ち込んだり、友人が落ち込んだ時は、今諦めるほどには人生は短くないと慰めてきました。でも、あなたからとても強い意思を感じます。そんなあなたには、人間は、私は、あなたは、いつ死ぬか分からない、これが生まれ変わる最後のチャンスとして踏ん張って欲しいと厳しく言いたくなるくらい、強く思います。

本当に偉そうにすみません、ここまであなたに共鳴している自分が不思議なくらい。恐らく、あなたに当時の自分を見ているのかもしれません。

自ら禁パチの炎の中に飛び込み、死に、再び蘇ってください。その転生の炎で、次々に生じてくるだろう、パチンコへの邪念を焼き尽くし続けてください。灰から蘇るという伝説の不死鳥、フェニックスのように。本気で応援しています。


*『自分をダメだと責めていれば楽でいられる。でも責めた分だけ卑屈な人間になるよ』

とある漫画の言葉です。私に限っては、禁パチにおいて(恒常化している)自責からは何も生まれず、歩みが止まるのみでした。弱い自分を認める、自分に思いやりを持つことで、反省する勇気を得ました。

自分を責めるのは、他人から責められないようにするプロテクション、不健全な自己愛だ、自責に逃げて、自分はダメだと諦めて反省しない、それこそ“卑屈さ”なんだと言い聞かせて、徹底的に自分を(甘やかす意ではなく)認めました。

自責よりも遥かに難しかったのですが、明らかに未来を生きる勇気、自省する勇気を得られるのは、自分を認めてあげることだと実感しました。

それとやはり行雲流水の考え方、アルベール・カミュの『異邦人』に於ける不条理の暗く熱い真理…

私にはこの三つがあれば、もはや人生にパチンコは必要ないと確信しています。


*なぜパチンコに行ってしまったのか。

私には強いコンプレックスからくる“善く生きたい、意味ある人生にしたい”という理想が強くあります。そして意味を求める時に生まれる、内面の対立や矛盾による「不条理」から逃れるべく、パチンコに行き、欲求の象徴であるお金を賭けて生命を敢えて脅かすことで、“まやかしの”破滅による安定、生命への反抗を求めていた、そう振り返っています。

でも結局、パチンコ如きでは、精神面の破壊、徹底的に自己に淫することなど、到底出来ませんでした。

そこで、不条理を見つめ直し、深く受け入れることを試みました。“自分が世界において主役でなく、人生に意味などないかもしれない”という不条理の下で世界は自分に何ら意味をなさない。世界には(理性が求めるところの)意味がない。

(論理的な説明は難しいのですが)でも、だからこそ世界にとって私は真に自由であるものとして、世界を主観的に捉えることが出来たのです。心が意味を求める理性の鎖から解き放たれていきました。自然の美しさや人の優しさに心を開くことが出来ました。世界に意味がないと積極的に諦めることで、自由と情熱を得ることが出来ました。

まさにカミュの言う『人生はそれ自体には意味はない。しかし意味がないからこそ生きるに値する』です。この考えを自分の血肉と出来た今回の禁パチで、もうパチンコに行くことはないと確信しています。


*私にとって禁パチのメリットは、目の前にあるお金に落ち着いた気持ちで対応できるようになった点ですね。

過去に重ねてきた浪費の莫大な金額の前には、そしてそれを取り戻そうとする(リターンの期待出来ない)“投資”の資金としては、手元にあるお金は余りに価値が小さい。それらとの相対的な関係でしか手元にあるお金の価値を見れなくなっていました。

価値の過小評価は、つまるところ、パチンコへの“投資”という薄っぺらい“大義名分”を掲げた更なる浪費をもたらすか、パチンコ以外にも、身の丈に合わないような無為で贅沢な嗜好品を買うこと等、これまた浪費に行き着きました。

禁パチをして、ki-bouさんに教わった通り、過去の浪費を手切れ金として積極的に諦めることで、過去の負債や未来の(リターンのないことが分かっている)“投資”の鎖から解き放たれた手元のお金はあるがままの価値に戻り、禁パチによって心身ともに健やかになり、健全な物欲が湧いてきて、消費に向かうようになりました。

経理的には借方に(有形無形の)資産計上がされています。浪費は資産計上なく、単に費用で落ちるだけ。いや、むしろ負の資産をもたらし、命という資本を目減りさせると恐怖を感じました。

この考えは自分の時間にも置き換えられ、今を大切にあるがままに生きることができていると実感しています。


*私の『善く生きたい』という理想、半分は後天的な、これまでの悪行からの反省、残りは(無神論者でありますが)先天的で宗教的な倫理観ですね。

生まれながらにそう育ってきたから、ということですかね。

こうした強すぎる理想を理性に置き換えて世界に対峙した時に、カミュの言うところの『異邦人』となって強い孤独を感じ(色々とある契機は割愛しますが、生まれて初めての手術も大きな経験でした)

でもだからこそ、実は自由なのだと理解出来たことが今回の禁パチの中で大きな気付きでした。自分が主役となった主観的な世界の獲得でした。

皆も同じく孤独、人にゆとりを持って優しくできるようにもなりました。ムカつく上司や生意気な部下にも(笑)

全く生き返った気分です。


*私の経験と精神科医から教わったことを書きますね。

変わる!と決めた時は束の間でも、過去の過ちを忘れられ、この先の未来を獲得できたような、かなり強い快感を得られます。

過去の過ちが大きければ大きいほど快感は増えるそうです。傷ついた心を癒し、現実に立ち向かうエネルギーを得るためにその快感はあるのでしょう、必要だと思います。でもその快感は長くは続きません。

その後に待ち続けているのは重く苦しい現実です。そしてこの現実に立ち向かうことこそ、禁パチなのですよね。束の間の快感を得るための禁パチではないですよね。

快感を得ることが目的になり、延々と変わる→諦める↓→変わる!→諦める↓↓→変わる!!→諦める↓↓↓→変わる!!!のスパイラルに陥いるケース、束の間の快感に依存してしまう、虜になってしまう方が本当に多いそうです。快感の度合いを強めるためにより多くのものを諦め、失うことを志向し、極端には敢えて犯罪を犯す人もいるとも…

お気づきだと思いますが、多くを失って束の間の快感を得る。パチンコ依存症の仕組みと全くおなじです。刹那の快楽に、失ってはいけないものを根こそぎ奪われかねません。

現実は怖いですよね。でも、失いたくないですよね。何度も言います、まだ失ってないのですよ。かつての私のように自ら捨てる形で家族を失ってはならないですからね。罪悪感、想像を絶しますよ。


*人生、本当に色々ありますね。私も弾かれて、ぶつけられて、吸い込まれる意思なきタマから、自分で動ける、いや、動かないといけないタマシイになると誓いました。

実際の所、逃げていた問題だけではなく、新たに見えてくる更なる問題や、自ら進んで立ち向かっていきたい課題が出てきて、なかなか大変ではありますが、毎日の負けを悔やみ、自分を憐れみ、問題を先送りにしていた自分には戻りたくありませんよね。

私はあなたの覚悟に勇気付けられてきました。だから私も、吐き出したいものがあったら聞きます。疲れたら止まり木になりましょう。

覚悟を決めた仲間たちが切磋琢磨して同じ目標に挑む場所。ki-bouさんがコメント欄を見て旨い酒を飲めるように、禁パチをガシガシ捗らせていきましょう!


*全力で胸の内を吐き出してくださって、ありがとうございます。あなたも私も皆さんも色々な生い立ちや境遇があると思います。私はワーカホリックで家族を失いました。

ひたすらに、貧乏だった過去から逃れ、家族に貧しい思いをさせないように働きましたが、働き過ぎて、結果、病気となり、別れました。

家族を守れませんでした。それから自暴自棄となり、パチンコ含めて、地獄に落ちました。と、胸の内を曝け出させてくれてありがとうございます。

偉そうにコメントしてますが、私なんか、どうしようもない人間なんですよ。時折、自分を切り裂いてしまいたい衝動に駆られます。

ただ、禁パチへの覚悟、禁パチにかける思い、禁パチの先にあるものを見据えた揺るぎない自分だけは間違いないと思っています。

これからもお互い吐き出すこと、吐き出すことで踏み出せる勇気をもって、歩んでいきましょうね。それをki-bouさんや皆さんは見守り、励ましてくれますから。これからも宜しくお願い致します。


*初めまして。貴方のふた回り近く年齢を重ねているミドルエイジです。同じ歳の頃の自身の青春時代の蹉跌を思い出しながら、読ませて頂きました。

青春時代の只中にいた私は、大人から『若い時の時間は大切だ』と大上段から説かれるのを何より嫌っていました。何を偉そうに、と。

でも今、相応に年を取り、その発言の裏には自身の後悔、そしてその後悔を味わって欲しくないという切なる願いがあったんだろうと理解しています。その文脈で怒らずに読んでくださいね(^^)

若い時の時間は大切です。それは決してパチンコで失ったこれまでの時間を後悔するべきだと言う意味ではありません。

大切な彼女さんの涙で奮起されて禁パチを志し、歩を進めている。素晴らしいことですね!!

若い時代に自身の依存症と向き合い、克服していく過程。この過程には、若い時代の大切な時間を充てるに十分な価値があると思います。

お金、時間、健康、恋人、家族、愛。こういった人生で要となるものと向き合い、獲得し、価値観を揺るぎないものにしていく過程であるからです。

これらの大切さを痛感して生きるこれからの俺さんは非常に豊かになるのではないかと、私は、自分の長くはない禁パチ生活の中でも、そう自信を持ってお伝えすることができます。

禁パチは生半可ではできず、つらい時もあると思います。私も辛かったです。

幸せな時間、禁パチに取り組む期間、人生を考える時間。そして何より行動する時間としてポジティブに捉えていきましょうね(^^)考え、行動する、ですね。応援しています。


*いっそ『自分は変わったんだ!』と言い切ってしまったら如何でしょうか?その時点で『自分は変われるのだろうか?』と考える自分が既に変わったことになりますよね。

私もまだまだ道半ば。その道中で励まされたとても有名なマザーテレサの言葉があります。勝手に門出に贈らせてくださいね。

思考に気をつけなさい。
それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい。
それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい。
それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい。
それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい。
それはいつか運命になるから。

差し出がましいようなことをしてすみません。共に踏ん張りながら歩を進めていきましょう。

思考→言葉→行動→習慣→性格→運命

ki-bouさんのブログを読み込み、パチンコを辞める覚悟をする(思考)。こちらで宣言する(言葉)。今日は行かない(行動)。ki-bouさんが設定してくれた道や峠、山に向かい、それを積み重ねる(習慣)。

習慣から性格への変換はどう起きるのか?これを身をもって体験していきます。

が、やはり自身の衝動や欲望との習慣的な戦いは、パチンコ以外の試練にも踏ん張ることができる胆力が付き、勇気と前向きさが、性格そのものに加わっていく気がしています。

それにしても、この世の中ってやつは、自由にならないことばっかりですよね。でもこのプロセスを体験し、腹落ちさせると自分の思考が作ってしまっている不自由もあるんだなぁと。

思考だけは自由。ってことは運命さえ(ある程度は)自由、なのですね。


*パチンコに行く理由がない、というお言葉に惹かれてコメントしています。

理由がないというのは、今のパチンコしていない自分に幸せを感じられているということですよね。

パチンコで苦しまないでいい幸せは、禁パチ日数に関係なく辞めた瞬間に誰にも等しく与えられるもので、そこに気付けると禁パチは捗りますよね。

勿論、悔恨や後悔の念で曇って見えにくくなっていますが、確かにある、まだ失っていない幸せ。お金と時間を捨てないでいい。もう自分を嫌いにならないで済む。

明日を今日の勝ちや負けに囚われた1日にせず、あるがままに過ごせる。これって、地獄を見た者にしか味わえない、幸せですよね。

この幸せを感じられると、あの地獄の日々を自責の後悔ではなく自らを認めた上で反省し、自らの衝動や欲望にしっかり向き合うことが出来るように思えます。

日々を積み重ねていく度に幸せ感が増えていくのは、この幸せを目減りさせる欲望や衝動との戦いの辛さが減っていくからなんだと思います。

決して禁パチをしたから、日々を積み重ねるから、かつてない幸せが向こうからやってくるのではなく、課題が避けてくれたり、壁が低くなっていくのではなく。

元よりある幸せを見出し、積極的に味わう幸福感が次なる幸せ探しをする。辞める前は逃げてきた課題に立ち向かう勇気に、この幸せは形を変えていくような。

綺麗事のようですが私はそう信じていますし、思いを新たにさせてくださり感謝してます。共に歩を進めていきましょう。



《そして、何よりも感謝》



*ki-bouさん今回も記事アップありがとうございます。一年富士を登頂するための後半戦に挑んでいますが、頭の整理が捗りました。感謝しています。

私にとってパチンコは、色々な要因が有機的に絡んでいたものの、やはり『痛み止め』の側面が強かったと振り返っています。ki-bouさんが仰る通り、単純に金銭面だけを考えていたら抜け出せないループでした。

これだけ俺は戦っているんだ。頑張っているんだ。そんな自分のための気分転換だ。何人たりとも邪魔することは許さない。パチンコこそ不可侵の、俺だけの『聖域』だ。家族にも友人にも仕事にも、お金にすら邪魔させない。

そう真剣に思っていた自分がいました。そしてまやかしの『痛み止め』を打ち、束の間、満足し、醒めた後は私生活の痛みがより鋭敏に感じられ、更に強い『痛み止め』を求める…

『痛み止め』による刹那の快楽を強めたいが故に、敢えて私生活の痛みを自ら増やしていたのではないかと錯覚するくらいに。まさに薬物ですね。

パチンコに使う想像もつかない膨大なパワーとエネルギー、そして時間とお金を有効的に使えば、人生の試練や課題には充分立ち向かうことが出来る。

パチンコで一体どれだけ心を擦り切らせてきたことか。自分を痛めつけ、周りを不幸にするのはもうやめよう。

パチンコに一切の解決策はない。やればやるほど、私生活の課題はより大きくなって自分の前に立ちはだかる。

解決出来るかどうかは分からずとも、立ち向かうことのできない試練や苦しみなどない。それをこの8か月弱で痛感しました。

影は暗ければ暗いほど、光もまた、強く射す。

死んで花実が咲くものか。

私たち、あと数十年で間違いなく死んでしまう。いや、もしかしたら明日にでも。

ki-bouさん、いつもありがとうございます。コツコツが最速最強!のki-bouさんの教えで、油断せずに歩を進めていきますね。


*kibouさんこんばんは。この記事での『単純に金銭問題だけを考えているだけではパチンコから抜け出せない』というご指摘がずっと頭にあり、自分のケースに置き換えて思案していました。

私は幼少の頃、貧しかったです。明日食べるお米がない、という程ではありませんが、月謝500円の習字に通わせてもらえなかったり、数ヶ月に一度の贅沢な外食、回転寿司に行って、絵皿を取ったら頭を引っ叩かれたりというような状況でした。

そんな惨めな生活から逃れるべく頑張ってきて、今はパチンコにさえ行かなければ、カウンターの寿司を食べられる位にはなりました。

一方、私の中には小さい頃から、しでかしてきた悪事への反省からくる、美しいものを求める心もあります。

貧困から逃れるべくやってきた代償に、大切なものを捨ててきた自分への嫌悪が、私をパチンコに向かわせたまた一つの要因だろうと思いました。

パチンコでお金を捨てることで、お金を求める嫌な自分に対抗し、自分を虐めて癒しを得ていた。

まさにデッドロック。ただ、いたずらにどちらの自分をも否定しているだけ。

もう貧乏だった時の自分を充分癒してきたし、貧乏に抗って心を捨ててきた自分を虐め抜いた上で許したし、後はあるがままの自分で生きていきます。

秋田大曲で誓ったことは、運も味方にしないといけませんが、地道に必ず登りつめます。


*ki-bouさんこんにちは。私もどうしようもない負の感情、悲しみや苦しみ、怒りや虚しさを抱えながら、現実逃避のために行っていましたね。

束の間の現実逃避のために、時間とお金、健康、思いやりと優しさを失っていました。

これらは自分の命、人生そのもの。束の間の現実逃避のために人生を失っていたということですね。

逃避した分、現実は容赦無く、重く鈍い深刻さを持って自分にのし掛かってくる。気付かぬ内にパチンコにパワーとエネルギーを吸われた私は、それに対峙できるはずもなく、またパチンコに逃げる負のスパイラル。

最早、もともとの現実のつらさなのか、パチンコで擦り切れた心が生み出しているつらさなのか峻別できないまま、それらを一緒くたにして、世の中の苦しみを全て背負わされたかのように、死んだように生きていましたね。

目を凝らせば、決して立ち向かうことができないはずではない試練なのに、勝手にパチンコして、パチンコしている苦しみまで付け加えて、こんな試練はとうてい乗り越えられないだろうと…

パチンコは現実を更に深刻にするもの。 もうそんな、死んだように生きるのは、まっぴらごめんです。パチンコに堕ちた苦しみに比べたら。

勇気を持って言いたいことを言ってみる。悲しい時は人目を憚らずに泣いてみる。憤った時は怒ってみる。虚しくなったら誰かにすがってみる。勝てない相手は、勇気を持って逃げる…

負の感情を吐き出し、それで周りの人から何か言われても、あの苦しみに比べたらマシだと痛感しています。

世の中、負の感情を吐き出す場所や機会が本当に少ないですよね。でも悲観しても仕方ない。色々な方法があるはず。私には、ki-bouさんが依存症を深く理解され、噛み砕いて代弁してくださり、それを読み込んでいること、そしてコメント欄での吐き出しが、禁パチの成功要因だと感謝しています。


*妻の誕生日。コツコツと貯めてきたお小遣いで、欲しがっていたミシンとお寿司、地元で有名なケーキ屋のホールケーキをプレゼントしました。

小さい頃、ミシンなどなく手縫いの雑巾を学校に持って行っていたこと、絵皿を取ったら頭を叩かれたこと、そして生クリームではなくバタークリームのケーキしか家では出たことがなかったこと。

パーティの後、近くの運河を一人で散歩しながら、それら全ての記憶が走馬灯のように駆け巡り、お金がないながら多くのものを与えてくれていた母、こんな偏屈な男のドリームマップを支えてくれている妻、それなのにパチンコで不幸を纏い、自らを憐れんでいた過去の自分がなにより情け無く、男泣きをしました。

豪華な1日、それを演出したお金はパチンコの半日かからず失ってしまうもの。

俺は一体いくつもの幸せを自ら捨ててきたのだろう、そして禁パチをしている今、これからはそうした幸せを自ら引き寄せ続けよう!と心新たにしました。

ki-bouさん、揺らがない自分を取り戻せたこと、本当に感謝しています。



《あとがき》



以上、私の半年富士近辺から一年富士登頂迄のコメントをまとめさせて頂きました。

私には論理性がなく、依存症に対する深い知見もありません。

しかし、いや、だからこそコメント一つ一つに全霊の魂を込めて書いてきました。

自分を追い込むべく少し背伸びをして、あるいはありたい自分になるために少し格好つけて。



でも。



いつぞやはこちらでの私の親愛なる友人よりアガペーと言って頂きましたが、私には人間存在に対する深い敬意と畏敬と愛情があります。

かつてそれは強い共感をもたらし、自らを食い破るほどでしたが、禁パチにより自分を認めて愛することができるようになった今、コメントを書いてきた私に現実に生きる私が追いつくことが出来ました。

どれかコメント一つでも、一文でも、一つの言葉だけでも、雰囲気だけでも、皆さんの禁パチ、ひいては人生の試練や目標に立ち向かう勇気を奮い立たせることが出来たならば、この上ない喜びです。

私はあなたと共にいます(松岡茉優さんとかたせ梨乃さんが大好きです)。共に歩を進めていきましょう。

ki-bouさん、こうした機会を与えて頂き、本当にありがとうございました。【過去の自分を糧にする】を100の掟の一つにといつも思っています。これからもよろしくお願いします。

アンリ&マリアンヌ

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まずは、突然の呼びかけに快く引き受けてくれたアンリさん。ありがとうございました!

そして、実はそんなアンリさんのおすすめの本がある。

夜と霧 新版
ヴィクトール・E・フランクル
みすず書房




今度図書館に立ち寄られたら、是非ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を手にとってみてください。アウシュヴィッツの収容所に収容され生還した心理学者の実話です。極限状態に置かれた人間の醜さ、美しさを書いたものです。


普段私達は誰かの話を見たり聞いたりして、感動や戒め、後悔や羨み、喜びや怒りを、「感じて」「学ぶ」わけです。

今回のアンリさんのまとめには、各々にとってのヒントはもちろん、「答え」も秘められていると確信しています。

私は、

物事を具現化できる人の思考を垣間見れた事に感謝でいっぱいです。

私は今後、何か壁にぶち当たったらこの記事をそっと開くでしょう。

皆さんは何を感じるでしょうか。



今日も財布の金は減らない。

俺の禁パチ人生の展望
まずは「借金問題を解決する」こと。
そして「禁パチ中の暇を埋める」こと。
同時に「仕事の悩みを解決する」こと。
そして「将来に向けたお金の計画」を考える。


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