20%禁パチ我慢

パチンコ依存症から開放されたいと願った日が今まで何度あったかな?

俺は「何度も」あった。

ある日、

あっ。俺はパチンコ依存症なんだ・・・

と気付くわけなんだよな。

もちろん、すぐに認める事はできないし、何をするにも「俺はパチンコ依存症ではないけれど、」という断りを付けないと不安で仕方なかった。


俺はパチンコ依存症ではないけれど、パチンコやめられない。

俺はパチンコ依存症ではないけれど、毎日行っちゃう。

俺はパチンコ依存症ではないけれど、借金がある。

ほら。

自分を守ろうと必死なんだよな。

言い訳とも違う。

「俺は!自分は!私は!」

という物が核心にあるのはさ、プライドや、やってきた事の自己肯定感に対する欲求。



そう。

「パチンコ依存症と認めない」わけだ。まさに否認。



あのさ、

パチンコ店に貼ってあるじゃんか。

「パチンコがやめられない人専用ダイヤル」みたいなの。

俺がパチンコ中毒で生きていた時、
「こんな物誰が電話するんだ?アホか?」
と思っていた。

実際、機能していない事もわかっていたし。

でもさ、

今考えると、当時の俺はさ、
「電話したら負けだ」
「電話したら恥ずかしい」
「電話したらパチンコ依存症になってしまう」
というプライドみたいな物と戦ってた。

本音は、
「電話したら本当にやめられるのだろうか・・・」
と、心のどこかで気になっていたんだろうね。



でね、

それと同時に、
「まぁ、いつかパチンコやめたらどうにかなる」
「俺はまだ本気出してない」
という、甘い考えもどこかにあった。

つまりさ、

「俺はパチンコ依存症ではないし、パチンコやめたら普通の生活にいつでも戻れるし、まだまだ本気出していませーん」

自分がダメなのはパチンコのせいだから大丈夫!って感じ。

やめたいのにやめれない事もわかってる。
使ってはいけないお金もどんどん使う自分もわかってる。
このままじゃヤバイこともわかってる。

わかってる。

わかってる。

わかってるはずなのに、そんな馬鹿な考えで何年も過ごす。



そして、

禁パチに出会って、気付く。

枯れたは花はいくら水をやっても二度と咲かない事。
枯れた花でも根があればまた咲くことが出来る事。

この二つを同時に知る。



俺はね、

パチンコで棒に振った貴重な時間があるのなら、二度と取り戻す事は不可能って事。
その年齢で過ごす、その時だけは、取り戻せない。
痛感するし、後悔した。

いや、今でも後悔してる。

そして、

今更遅いと思っていた沢山の物事は、全然間に合って、手の届く距離にある物だって多いって事。
これはいくつになっても同じ。
その年齢の自分にしか出来ない事が山のようにある。

自分の心に枯れた花壇があってさ、枯れてる景色だったとするじゃん。
水もやる前から「枯れてる」なんて決めつけちゃってさ。
馬鹿じゃねぇの。


・・・


そして、

くるべく時がきた。

認める。

認めるまくる。

これ以上認める物なんてない!ってほどに。

俺はパチンコ依存症だ!

俺はパチンコには絶対勝てない!

俺はパチンコのハンドルを握ったら我を忘れます!

お・れ・は・ぱ・ち・ん・こ・に・ま・け・ま・し・た!!!



そう、

禁パチの土台の完成した日の話。


今日も財布の金は減らない。

俺の禁パチ人生の展望
まずは「借金問題を解決する」こと。
そして「禁パチ中の暇を埋める」こと。
同時に「仕事の悩みを解決する」こと。
そして「将来に向けたお金の計画」を考える。




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