0%禁パチ我慢

どうして禁パチを頑張る人を馬鹿にしたり笑ったりする人がいるのか?

どうしてだと思う?

今回はそんな事を考えてみた。

冷静に考えてみたらよーくわかったよ。



まずね、

禁パチしている人を笑う人ってどんな状況なのか?って事。

心に余裕のある人、お金を沢山稼いでいる人、一生懸命生きてきてる人、自分の人生に良い意味で忙しい。
こういう人達はまず他人を馬鹿にする行為自体があり得ないんだよな。

つまりさ、

禁パチしている者を笑ったり馬鹿にする人ってのは、
「心に余裕のない人」
「お金を沢山稼いでいない人」
「ダラダラ生きている人」
「やるべき事のない暇な人」
って事。



次。

禁パチしている人を笑う人って何がおもしろいのか?って事。

それは、ズバリ禁パチの失敗率の高さ。

俺も過去に禁パチを決意しては幾度となくスリップを繰り返した。
自分でも思う。
あの頃の自分は本当に馬鹿だったと。

本気のホの字も知らないで、なんとなく禁パチなんて始める。
笑われて当然だし、聞く人が聞けば、
「はいはい。じゃあ明日パチンコ屋で待ってるね」
などと言われても当然。

つまり、

どうせできないんだろ?という失笑。

まぁ、こんなのは自分が本気なら何も感じないはずだし、それどころじゃないはずだよね。



次。

禁パチしている人を笑ってどうしたいのか?って事。

それは、ズバリ他人を見下して快楽を得たいって事。

俺はね、パチンコ依存症やってる時、いきつけのパチンコ店で、自分よりも負けこんでいる人や、運の悪そうな人を心で「こいつには勝った」って思ってた。
無意識にね。
所詮決まった還元から客同士で奪い合う仕組みだから、必然的に「こいつには負けたくない」という感情は常にあった。

だから、自分だけ「パチンコ依存症している」という事実は、パチンコ依存症当人にとっては耐え難い。

だから、なんとしてもパチンコをさせようと必死なんだろう。



いいか。

笑う奴ってのは、他人だろうとパチンコ依存症に引き戻したいって感情が必ずある。

そして、引き戻す感情があるって事は「最低な環境だから」という事。

本当に良い物なら、引き戻すどころか、誰にもバレないように知っている者だけで独占するだろ。

だからさ、

笑ってる奴も、自分のダメさを自覚していなきゃ絶対に出来ない事なんだわ。



結局さ、

最後はさ、

死に物狂いの一つも通らないで腹の底から笑えないんだよ。

たとえ笑われながら禁パチしてきても、最後に笑うのは禁パチした者なんだわ。

後悔や無念を抱えて死んでいくのは、死に物狂いで生きていた奴を笑ってた奴の方。

それがわかっちゃった者から禁パチしている。

だから、

禁パチすることも出来ない一歩手前の状況で、禁パチをする者を笑って楽観してるのかもしれないね。



ここは禁パチブログだし、禁パチする者を笑う奴はほとんどいない。

それは、

ここでは笑う行為自体が圧倒的少数派だし、まったく効果がないもんな。

でも、死ぬ物狂いでパチンコを我慢する奴を笑うってのは、ネットには当たり前のようにいる。

もしも、

そんな場面に出会っても、大丈夫。

今だけ笑われていればいい。


今日も財布の金は減らない。

俺の禁パチ人生の展望
まずは「借金問題を解決する」こと。
そして「禁パチ中の暇を埋める」こと。
同時に「仕事の悩みを解決する」こと。
そして「将来に向けたお金の計画」を考える。

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