0%禁パチ我慢

ギャンブル依存症の克服を学んでいると、底付き体験という言葉をよく目にするでしょ。

この「底付き」という言葉自体は、
俺がパチンコ依存症真っ最中の時から知ってはいた。
そしてどんな心理なのかも頭では理解していた。

今回は、ギャンブル依存症の中でも重要視される「底付き体験」という物を、パチンコ依存症から考えてみたい。


俺の底付きは、このブログを始めた当時に感じた物だと思ってる。

「このままじゃパチンコに殺される」と悟った日。

あの日に底を突いた。



ギャンブル依存症にとっての「底付き体験」ってのはさ、読んだままの意味。

俺の解釈だけど、
「依存している物をやめないと死ぬ」と「本人」が悟る事。
だよな。

でね、

よく考えてみた。

俺は今までの人生で何度か底を突きかけてた。

明らかに「底打ち体験」を自分から阻止していたと思う。

パチンコ依存症を何年もやっていると、何回かは誰でも経験のある「パチンコいつかやめないとヤバイ」ってう感情があるよな。

この感情を抱く時は、
「もう少し沈んだら底だ・・・」
って事が薄々わかっている状態なんだよな。

ギャンブル依存症ってのは、
底を這いながらも生きていられる性質がある。

例えば日払いのバイトなら、
毎日パチンコを打つ種銭が捻出できてしまうし、
給料日がくればパチンコを打てる状況になるもんな。

借金をしても、
返済日をなんとかやりくりして首の皮一枚で何年も過ごす事もできてしまう。



これってさ、

「本人」が「底付き体験」を認識しないといけないのに、
客観的に底を突いた状態のまま生きていられるって事。

だから「パチンコ、ギャンブル、いつかやめないとヤバイ」なんて他人事のように考えているわけだ。

気付いたら、

あれ?

俺?

やばい・・・

って繰り返す。



もしもこの「底付き体験」を家族にさせたいならば、
家族も心を鬼にして「援助しちゃダメ」だって事。

ギャンブル依存症ってのは、
誰からも援助してもらえない状況を作ってあげないと、
絶対に底付き感に気付けないからな。



そして、

底付き感が、金銭的な物なのかという問題。

ギャンブル依存症なら「支払いに困る」だとか「明日食う米に困る」という体験も珍しくない。
例えばこれを「底付き」とするならば、もっと大勢が「底付き体験」をしているはずだよね。

でも、

実際生きているわけだ。

誰かに金を借りたり、借金をしたり、とにかく「なんとかなる」という経験をしてしまう事で、底付きすらも感じなくなっちまう。

つまりさ、

支払いが何とかなったり、明日食う米が何とかなったりした瞬間、もう底じゃないんだわ。
援助されて助かったと思っているだけで、実は真逆。
援助された事でさらに深い底を目指す事になるんだわ。

ここで底付き体験だったと理解できないと、
さらにギャンブル依存症は進行する。



それは、

もっと短い間隔でギャンブル、パチンコって物をしている怖さを感じる時がくる。

金の工面で忙しかったけど、冷静になると、死が結構近く感じたりね。
はっきり言うと、ここまでくると自分で自分を殺す人も出てくる領域。

つまり、

底付きに気付けないまま堕ちたって事。
冷酷なようだけど、ギャンブル依存症やっているなら目を逸らせる話じゃない。



もちろんさ、

パチンコ依存症の原因なんて、個々違う。
夫婦の問題や仕事の問題とかね。
何が自分にとっての原因か実は誰でもわかってんだよな。

その捌け口に選んだのが手軽なパチンコだったんだろ?

でもさ、

ギャンブルやパチンコでその問題は解決できないのも知ってるんだろ?

誰でも確実に禁パチできるって事も知っちゃってんだろ?

自分と同じ心境の人が大勢いるのもわかっちゃってるんだろ?



いいか。

ギャンブル依存症における底付き感とは、幻想を放棄する事だ。

禁パチってのは、底を突いたパワーで今度は幸せに向かって跳ね返るんだぞ。

これ以上快感あんのかよ。


今日も財布の金は減らない。

俺の禁パチ人生の展望
まずは「借金問題を解決する」こと。
そして「禁パチ中の暇を埋める」こと。
同時に「仕事の悩みを解決する」こと。
そして「将来に向けたお金の計画」を考える。





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