0%禁パチ我慢

次にパチンコに行ったら、
「この腕を切り落としてやる!!」
という意気込み。

・・・

この意気込みは俺の思う覚悟とは違う。

俺はさ、
真逆なんだよ。

覚悟っていうと、
「パチンコを我慢する事に向き合う」
という表面上の理屈ばっかり目立つよな。

もう一回言うけど、
真逆なんだよな。


俺はさ、

「もうパチンコはしないんだ」
「今まで酷使してしまった手にハンドクリームを塗ってやろう」

って思うよ。

うん。



パチンコにいつも着ていた洋服があったけど、
「いままでありがとな!」
って処分したようにね。



パチンコ依存症の自己嫌悪まみれの生活に足らないのはなんだろうな?

「自己愛」
なんじゃねぇのかと思う。



ATMの残高を見てさ、
「俺はなんて事をしてしまったんだ」
「俺の馬鹿野郎」
「パチンコの馬鹿野郎」

って。

憎んで、
苦しんで、
もがいてきたわけだ。

パチンコ依存症の時は、
怒りの矛先なんてのはいくらでも作り上げるからな。

パチンコ屋、
周りの客、
幸せそうな奴、
頑張っている奴、
そして自分。

全部怒りの対象になっちまうほどだよな。



もしもさ、

広いパチンコ店内で、
自分以外全員大当たりの状況になったらさ、
パチンコ依存症なら軽く精神崩壊すると思う。

それが2日続いたら、
生命力の根源である気力も奪えるだろうな。

3日続いたら、
犯罪を犯すほど発狂するかもな。



だからさ、

パチンコ依存症が自分を保つにはさ、
自分よりも不幸な奴を探すわけだ。

そんな奴が自然と集まるパチンコ屋に行くことで、
「やっぱ落ち着くぜ」
という、わけのわからない自信をもらってくるんだよな。

「俺はあいつよりは幸せだ」
なんてな。


俺はさ、
これまでパチンコ依存症の話を沢山目にしたよ。

やっぱりパチンコ依存症は簡単に抜け出せる!
なんて絶対に言えない。

でも、

パチンコがやめられないと苦しむ人と同じぐらい禁パチ成功の話も頂ける。

すると見えるじゃなの。

小さな共通点がいっぱい。

さっき言っちゃったけど、
「自己愛」こそ、
一つのキーポイントなんじゃねぇかと。

パチンコ依存症長いことやってると、愛される事なんてないからな。

そして、
最後には自分からも嫌われるんだ。
普通の精神や発想で生きる方がおかしい。



最初の話に戻るけど、

次にパチンコしたら「腕を切り落とします」という覚悟。

俺は個人的に嫌いじゃないよ。
この圧倒的な覚悟を表す言葉は。

でも、

それじゃダメなんだわ。

だってさ、

すでにそれがギャンブルなんだわ。

それさ、

腕を賭けちまってる。



いいか。

俺は前にも言ったけど、
パチンコの善悪や憎悪は人それぞれいろんな感情があって当然だと思うよ。

禁パチしてもさ、
一度は自分が楽しんできた遊び。
「完全な」悪や憎悪として思え!なんて難しいというか無理なんだよな。

「禁パチを覚悟した時の気持ちを忘れるな」
と言い続けるのは、
自分への戒めでもあるけれど、
一番はあの地獄の瞬間があるから今後の人生が捗る。

そう。

糧にできるんだよな。

そして、

「圧倒的覚悟」ってのはさ、
今の自分を受け入れる覚悟なんだよな。



「踏ん張る」ってのはさ、
行きたいを我慢するそのものなんだよな。
明日からいきなり「行きたくないです」なんて言ったら嘘だもんな。



俺はこうやって、
叫び続けてしまった自分の言葉の答え合わせをしてんだよ。

正しいとか間違ってるかなんて、知らない。
知ってたら、困ってないよな。


まぁ、

あれだ。

お前の腕、

お前の味わった地獄を一緒に共にしたんだろ。

たまにはケアしてやれよ。


今日も財布の金は減らない。

俺の禁パチ人生の展望
まずは「借金問題を解決する」こと。
そして「禁パチ中の暇を埋める」こと。
同時に「仕事の悩みを解決する」こと。
そして「将来に向けたお金の計画」を考える。





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