0%禁パチ我慢

パチンコ依存症になって、
禁パチを覚悟する。

こんな状況になったって事は、
大金をパチンコで失ってきたわけだ。
かなりの時間をパチンコで失ってきたわけだ。

その時に、
多くの人が上手に消化できない部分がある。

それは、
禁パチ初期の大きな障害なのかもしれない。



「パチンコで負けた金額への後悔」
という物。

わかると思うけど、
全額取り戻すのは不可能だって知っているよね。

じゃあ何が問題なのか。

それは、
「少しでも取り返してから禁パチしたい」
「長年やった物だから勝ちで終わらせたい」
「今年の負けだけでも勝って精算したい」
「借金してしまった○万円だけでも取り返してやる」

こんな発想だろうか。

でもね、
こういう気持ちが頭にある内は、
禁パチの本気の覚悟は絶対に無理。



まずさ、
そもそもその発想こそが、
パチンコ依存症の確固たる証拠なんだよ。

「取り返す・・・」
「あといくら勝ったら・・・」
「せめていくらだけでも・・・」

この繰り返しで「今の自分」がいるんだろ?

だったらわかるよね。
もしも本当に取り返せてしまったらどうなるか。

つまり、
お前の最後のパチンコはすでに終わってる。
あとは、徹底的に後悔して悔やんで悔やんで乗り越えるしかない。



じゃあ、
今回のテーマ、
「パチンコで負けた金額への後悔」
をどうやって自分の中で消化するか。

例えば、
「新車を納車した日に廃車になる事故をしたと思えばいい」
なんて事も聞いた事がある。

これが現実なら、
「仕方ない」と思うしかないわな。

命が残っただけ儲けもの。

もう一度言う。

命が残っただけ儲けもの。

パチンコはさ、
負けて当たり前なんだから、
事故の例よりも遥かに仕方のない出来事。

考え方の一つとしては、
これほど納得できる物はないとは思う。



まぁ、
とは言っても、
こんなのはよく聞く話だよね。

そんなんでやめれたら俺も地獄を見てないね。

俺がさ、
実際どうやって自分の中で「負けた金」を認められたかっていうと、
「未来の自分」を想像したんだよな。



例えば、
現時点で「あとちょっと勝ってから禁パチしたい」なんて甘えがあるとする。

じゃあパチンコに行ったとしよう。

多少勝ったとしよう。

自分との約束を守って禁パチしたとしよう。

勝った記憶でスリップがずっと隣り合わせの日々だな。

限界がきてスリップして勝った何倍も負ける。

また最初に戻る。

来月には「もっと早く禁パチしておくべきだった」と後悔している自分が容易に想像できるじゃん。




次に、
仮に負けたとしよう。

すると負けの悔しさがさらに増加する。

後悔が膨れ上がって、
なんとしても勝ちたい欲求が生まれるかもしれない。

やっぱりやめておくべきだったと後悔が生まれるかもしれない。

来月には「もっと早く禁パチしておくべきだった」と後悔している自分が容易に想像できるじゃん。



そして、
来年の、ちょうど一年後の自分の貯金額を想像してみろよ。
次のパチンコの勝ち負けなんてどうでもいいぐらい、
パチンコなんかじゃどうにもできない無力さが容易に想像できるじゃん。



はっきり言おうか。

最後のパチンコで勝ったから何だっていうの?

負けを数万取り返したから何だっていうの?

来年のお前が笑えるには、
本当に次のパチンコは必要なの?

禁パチが捗る皆が口を揃えて言う言葉知ってる?
「もっと早く禁パチしておけば良かった」

この意味を知る時、
パチンコの負けた金額に執着していた自分の小ささを見る事になる。



禁パチを覚悟するって事は、
パチンコなんかで行き来する「小銭のような金額なんかに左右されない人生」を作るということ。

だからさ、

負けた金額なんかさ、
パチンコ屋にくれてやれよ。

そのかわり、
もう二度と自分が稼いだ金は一円たりとも貢ぐなよ。

「負けを心から認める」作業だ。


まぁ
後悔して悔やむのは正常な感覚だよね。

俺も、
しばらくは、
負けた金額への後悔が強かった。

むしろ、
その金額に執着する性格だからこそ、
パチンコ依存症になったとも思う。

パチンコの負けはパチンコで取り返す・・・ってね。

ははは。



あと1年でも早く、
いや、
半年でも早く禁パチしていれば、
手元に数十万あったと思うと後悔はするけどね。



パチンコで負けた金額?

くれてやるよ!


今日も財布の金は減らない。

俺の禁パチ人生の展望
まずは「借金問題を解決する」こと。
そして「禁パチ中の暇を埋める」こと。
同時に「仕事の悩みを解決する」こと。
そして「将来に向けたお金の計画」を考える。






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