0%禁パチ我慢

パチンコする奴の友達はどんな人が多いだろう。

単純なイメージだと「パチンコをする人」が多いだろう。

でも、

本当は違うんだよな。

何度も言うけど、
パチンコばかりの奴の周りには「友達」はいない。

本当の意味で良い友達ほど残らない。

結果的に、
残るのがパチンコ依存症の友達だけなんだよ。



俺がパチンコしていた時に仲が良かった友人。

今思えば、

「昔のパチンコ仲間」
と表現するのが一番しっくりくる。



結局はさ、

「パチンコ」という共通の物があったから仲が良かっただけなんだよな。

そんな物で繋がっている仲なんて、
どちらかがパチンコから遠退けば、
嫌でも疎遠になる。



俺がパチンコ依存症の真っ最中の時にも、
普通の友人はそれなりにいた。

だって、

そういう集まりがあったとしても、
「自分は今だにパチンコに依存してます」
なんて言わないからね。

普通の人間を演じた。

だから、友人から金を借りるなんて事もなかった。



今、
冷静に考えると、
普通の人間を演じている時点で、

パチンコは「恥ずかしい物」だと自分で認めている証拠なんだよな。

それを辞められない自己嫌悪との小さな戦いを何年も繰り返していたんだと思う。



そういう意味では、

パチンコはやっぱり孤独を埋める物のようでいて、
「孤独を作り上げる物」なんだよな。

パチンコする人から「友達です」って紹介されたら、
今の俺なら「どうせパチンカスなんだろうよ」と思うだろう。

完全な偏見。



でもさ、

いい大人になって友人と一緒になってパチンコなんかする奴の方が不自然なんだよな。



いいか。

世の中ではさ、

パチンコなんかはカラオケやボーリングのようにレジャーに分類される。

つまりさ、
「お金払ってパチンコ打って、当たったら景品がもらえる遊び」
という前提になっている。

「たまにだけど友人とパチンコやります」
っていう奴の方が正常だったりするのかも?

という空気が流れている。



レジャー?

景品?

たまに友人と?



本当にお偉いさんが思い描いた環境になっていると思ってんの?

やっぱりパチンコ屋を思い出すと、

一人で黙々とパチンコを打っている「パチンコ依存症」の姿が色濃い。



苦しむ人を何十万、何百万人と生む物がレジャーだと言う国だ。

騙されるなよ。



パチンコ続ける奴は常に孤独。
パチンコという物で繋がれた友人がいてもね。

パチンコがなくなれば他人以下になる。

なぜなら、

パチンコをしていた時の記憶なんか、
自分から捨てたくなるからね。



パチンコ依存症のお前に言っておく。

パチンコなんか無縁の友人がお前にもいるんだろ。

たまには電話でもしてみろよ。


今日も財布の金は減らない。

俺の禁パチ人生の展望
まずは「借金問題を解決する」こと。
そして「禁パチ中の暇を埋める」こと。
同時に「仕事の悩みを解決する」こと。
そして「将来に向けたお金の計画」を考える。



むだ死にしない技術
堀江 貴文
マガジンハウス



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