0%禁パチ我慢

そもそも禁パチにゴールがあるのか?

死ぬまで続くのか?

まぁ、

町中のどこにでもパチンコ屋があって、
365日営業しているという事実はある。

でも、

自分にとって本当に必要のない店ってあるよね。

例えば、

たばこを吸わない人は絶対にタバコ屋に行かないよね。
行きたくてそわそわしないよね。

自分の中で、
パチンコ屋という存在が、
この状況にまでなれば俺の人生での禁パチは成功と言ってもいいと思う。

つまり「息を吸うように禁パチする」って事だ。



と、

思っていた。

でもね、

最近その考えもほんの少し変わった。

思い切り禁パチに依存する。
だから俺はこうして生きているのもまた事実。

このブログをやっていなければ、
俺はこの世にいない可能性もあった。



何のために生きるのか?

哲学みたいな話じゃなくて、
働いた給料をパチンコ屋に運ぶ数年間。
生活はギリギリ以下で、
歳をただ重ねて、
新台を打つ日々。

誘われても、
パチンコを理由に断る日々。

飯は節約で、
うまいと思える物なんかほとんどない。

何のために生きるのか?



こんな状況を年単位で過ごすと、
この世にいる意味を本気で考えたよね。


・・・


でもね。

違うんだよな。

決して多くはないけど人並みの給料。
それで自分の首を締めているのは「パチンコ」だと頭ではわかっていたと思う。

じゃあなぜ辞めなかったのか。

それはね。

辞めれなかったんだよな。

出そうな台を放っておけないし、
辞めようと思っても、
寝て起きると頭にスリーセブンが揃ってる。
今日辞めても明日辞めても大差ないと思い込む。

だからパチンコ屋に向かう。

それの永遠のループ。



でね、

俺のことは、
禁パチ禁パチっていつまでも言ってる馬鹿だと思っていてほしい。

常に禁パチを考えているから、
結局はパチンコ業界の呪縛に囚われている馬鹿だと思っていてほしい。

でもね、

数年後に自分がパチンコ依存症だった事を忘れてスリップするような馬鹿が居たら、
俺は全力で馬鹿にする。

俺はそういうモチベーションで生きている。
だからこんなに毎回飽きずに禁パチを語れるんだろうな。

結構キモイ記事になってきたけど、
最後に忘れないでほしい事がある。

自分の人生を守れるのは「自分だけ」なのもまた事実。



ちょっと前に、
糖尿病の友人が嬉しそうに俺に言った。

一型糖尿病になって毎日注射が大変だけど、
注射の度に思う事があるんだと。

「食べ物に気を使えるようになった」
「病気になると当たり前を感謝できるようになるぞ」
「同じ病気同士で友人も増える機会があるんだぜ」
「食品に詳しくなったから管理栄養士にでも転職しようかな」
ってね。

どうやら一型糖尿病になると生涯インスリン注射をする人生になるらしい。

健常者には、
過酷にも思えるよね。

でも、

日々常に意識しなければいけない行為を逆手にとっているんだよな。



パチンコ依存症という心や脳の病はどうだろう。

俺も逆手にとってやろうじゃないの。

「え?まさか・・・一生禁パチを意識し続けて生きるの・・・?」

って言われたら、

「俺が自分の人生を素晴らしい物にするには必要不可欠ですから」

って今なら言うだろうね。

まぁ、
来年の俺が同じ思考とは限らないし、
「パチンコは忘れたらゴールです」
なんて記事を書いている可能性もある。

それほど、

自分でも模索しながら禁パチしている日々。

嫌いじゃない。

禁パチ最高。


今日も財布の金は減らない。

俺の禁パチ人生の展望
まずは「借金問題を解決する」こと。
そして「禁パチ中の暇を埋める」こと。
同時に「仕事の悩みを解決する」こと。
そして「将来に向けたお金の計画」を考える。





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