0%禁パチ我慢

俺の糞ブログに「初めまして」とコメントをくれたのは2016年3月。
俺の糞ブログに「底なしの優しさ」で「明かり」をくれる。

そう、

今回の主役、

アンリさんの伝説が始まったんだ。

俺なんかを遥かに超えるファンの数は推定だと36億人。
地球の人口が約73億人らしいので、
半数の人がアンリさんに首ったけなんだ。
(俺調べ)

・・・

とにかく、
いつも紳士で真摯。
そんなアンリさんの名言をまとめてくれとご依頼頂いた。

自然と人が集まる輪の中心にいつもアンリさんがいるんだ。

それでは、
俺の主観で選ばせてもらったアンリさんの名言を見ていこう。




周囲から真面目と言われる私は、ストレスの発散が苦手で、自分にご褒美あげるのが出来ないタイプの人間です。
自分自身への買い物やボーッとするのが出来ないのです。
無為に感じられて。
そこで手を出したのがパチンコ。
たった僅かな可能性ながらも、儲かる(無為ではなく、実益を伴う)という大義名分を掲げた自己正当化がし易かったんでしょうか。


一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。
三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。
八日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい。
一生幸せになりたかったら釣りを楽しみ、CR禁パチを続けなさい。
有名で大好きな格言ですが、多少カスタマイズして自分に言い聞かせてます。


世の中、選択肢が溢れていて、自分が選んでいるようでも、選ばされてるとも見えますよね。
まるで選択ごっこをしているような…でもそうではないと思いたい。
決められたレールを歩いていても、会社の社畜だと馬鹿にされようとも、その瞬間、自ら真剣勝負で選んだ選択は選択ごっこではない。
そうして選んだ道の積み重ねが人生なんだと思いたい。
選択するからこそ私は在る。


私はパチンコ辞めた直後の帰り道は、ki-bouさんの過去記事を参考に、ネットの買い物リストに欲しいものを欲しいだけ入れることに時間を使いました。
そして一週間に一度、決めた金額内で買い物リストから買いました。
私の場合は釣り具です。
また、会社を出たすぐにあるコンビニで妻や娘へのささやかなお土産(アイスとかチョコとか)を毎日買うことにして、早く帰って喜ぶ顔が見たいという気持ちを得るようにしました。
アイスだと溶けちゃうのでパチンコに行く抑止力にもなりました(笑)


普段はお金を使わない私、そのこと自体が意識下でストレスとなっていたり、意識上にある、仕事等でのストレスが重なり、パチンコ行って、周りにいる浪費家さん達よりも実は金を使っていたという事実。
馬鹿だったと思います。
自分にご褒美をあげる=小出しにお金を使うことが欠けていたと反省しきりです。
以前も書きましたが、私は禁パチのこの3ヶ月で、パチに使う1時間分のお金で、ひと月充分幸せになれることが分かりました。


最近思うのですが、暗黒に回帰したからこそ、自分の中の、まだ残っていた僅かながらの善意を見出せた。
当たり前だった両親の、妻の、友人の優しさを、何にも代えがたい有難いものだと気付けた。
道行く家族連れが、憂愁の夕方が、鳥のさえずりが、雨に濡れた新緑が、心の底から美しいと感じられるようになった。
過去の暗黒な自分との戦いをしている。
私は過去の自分と決別したい。
善意という小さな蕾を人生賭けて慈しんで愛でて、咲かせたい。
誘惑や依存とだけ戦っているのと同時に、自分の大事なものを守るために、戦っている。


人生は選択の繰り返し。
このあらゆることが細分化された社会、あらゆる選択肢は決められ、目の前に提示されている。
どれを選んでも大差がない。
日立を選ぶかパナソニックを選ぶかの違いしかない。
結局、選択ごっこをしているだけなのではないか。
白けてしまうほどに。
でもそうではないと思いたい。
たとえそれが提示された選択肢だったとしても、真剣勝負で選んだ道なら、白けずに歩きたい。
その選択は他ならぬ自分が選んだものであり、その積み重ねが自分の人生なんだと胸を張って棺桶に入りたい。
選択の積み重ねが人生ならば、棺桶に入るまで、一つ一つの選択が正しかったか間違っていたかは分からない。
その時々で選んだ自分を信じて疑わなければよい。


禁パチを始めるきっかけは色々あるかと思いますが、それは須らく善意、人を思う気持ち、過去や未来の自分に顔向けできない今の自分への猛省、眩い未来への憧れ、そういった善意が元になっていると思います。
その善意を育てていくことこそ、禁パチを継続する秘訣なのではないかと、皆さんのコメントを見る度に実感します。


これからの人生、全てのお金を、全ての時間を、一瞬一瞬の刻を、自分が愛する人に注ぎ込むことを改めて誓いました。
ある意味で、パチンコに依存した暗黒時代があってこそだと強く思います。
影は暗ければ暗いほど、光もまた、強く射す。
死んで花実が咲くものか!


パチンコは若い人の幸せを不幸にすることが大好きで、その不幸を食べては、肥大化していきます。
みすみす餌食となってはいけません。


『堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救い出さなければならない』坂口安吾の素晴らしい名言を使わせて頂くことをご容赦ください。
パチンコ依存症になった私は、確かに、堕ちました(安吾の言う堕ちるとは違うと分かった上で使わせて頂きます)。
一時の、刹那の自分の快楽のために、人の優しさを利用し、人に嘘をつき、人を騙し、人を傷つけ、人を見縊る。
金銭感覚は崩壊し、労働の意義を見失い、あらゆる価値観は快楽と、快楽に付随した幾ばくかのお金に優先される。
わざと目を逸らしながら、目の前にあるのに、世界の美しさが分からないと言っては八つ当たりをし、自分で進んで背負っているにも拘らず、世の中の汚れや穢れを全て背負わされたかのような被害意識を持って、周囲に毒付く。
そうしていつの間にか全てを失い、人に、社会に、ルールに、美徳に、そしてこれまで自分だと思っていた自分に見放され、残ったのは本当の自分。
社会的地位や組織、親や家族、友人に一切、擁護してもらえない、本当に情けなくて弱りきった自分。
生まれて初めて出会った自分。
堕ちるというのは自分の中のことであり、他人が堕ちていようとも堕ちてなかろうとも、他人には分かりません。
堕ちた自分にしか分からず、それ故に大変に孤独でした。
堕ちるというのは孤独を知ることと同義なのかもしれません。
寄る辺無き、人の気配を感じられないほどの孤独になった時に、私は人を求めました。
生まれて初めて、心底、人を大切に思うことが出来ました。
このぬくもりを失った時、或いは自ら手放した時、今度は私は死ぬ時だと思いました。
妙ですが、恐怖と歓びを同時に感じました。
私はパチンコ依存症により堕ちきることが出来て良かったと思います。
堕ちきらずに堕ち続けていたら、私のような人間は、真の孤独、ひいては真のぬくもりを知らずに死んでいくことになっていたかも知れないからです。


誤解を恐れずに言うと、ある意味では、病気よりもパチンコ等の依存症との戦いの方が過酷かも知れません。
病気と言えば、誰もが応援してくれる。
家族が、先生が、看護師が、薬剤師が、医療技術が、人間の英知が援護してくれる。
それに引き換え、パチンコ依存は本当に孤独な戦いです。
堕ちきった者にしか分からない、自分との戦い。
でも孤独を味わったからこその、激しい後悔と自省により得られたほんの少しの強さ、儚くも確かな優しさ、一度でも人生を諦めることで解放された楽観的な視点、まずは生きてみることかな、という力まない軽やかさ。
まだ人に誇れるまでには到底至りませんが、こうした善意によって、発見した自分自身を救い出さなければならない、そう改めて誓いました。


スリルによりお客様の生活を充実させる、というようなことがパチンコ運営企業のIR情報に経営理念として書かれています。
当たり前ですが、お客様に儲けてもらいたい、などとは一切書かれておりません。
値決めのされていない“スリル”をサービスとして、値決めを“お客様”にさせる形式。
恐ろしいです。
仮に高級車を購入する以上の対価を払って何も形に残らずに文句言っても、“スリルを味わったじゃないですか。しかも値決めしたのはお客様ですから。”と言われて終わりですね。


心を病み、家族を失ってまで働いて稼いだ10年間の貯金をパチンコ、お酒、夜の蝶舞うお店で一年要さずに、恐らく半年程度で使い果たしました。
私のような理想論者かつ完璧主義者、プラモデルを組み立て、一つ間違うと全部壊して作り直すか捨てないと気が済まないような病的な性格の持ち主は、自暴自棄になると逆に完璧に堕ちるまで堕ちないと気が済まない。
そこに元来の依存性向が加わり、悲惨なことになってしまいます。
私は次スリップしたら、死ぬところまで行くような気がしています。
私は禁パチした期間が長ければ長いほど、スリップしたら、その間に得たものを全て捨てることになる、プラモデルの組み立てをやり直すことになる。
或いは、捨ててしまうか。
強い破滅志向のある人間との自覚があります。
この依存性向、破滅志向を必ずや少しでも飼い慣らし、墓場まで道連れにしてやる覚悟です。
幸せを求めるのと同時に、こいつらとの命懸けの戦いが私の人生なんだ、と覚悟しました。

happy-しあわせを探すあなたへ [DVD]
happy-しあわせを探すあなたへ [DVD] [DVD]
エド・ディーナー
ビデオメーカー



最後に、
そんなアンリさんでもこんな時期があった事を最後に付け加えておく。

おかげ様で禁パチ一週間です。
今日は我慢度70パーセントまで来てしまいました。
何も考えずに済む、世間から切り離されたあの空間でぼーっとしたくなってしまいました。
人は一杯いるけど誰も知っている人のいない心地良い孤独感の中、ぼーっとしたいと激しく思ってしまいました。
でも、そんな空間なんて、パチンコ屋以外にもあるじゃないか、お金払わないでもいられる空間があるじゃないか。
そう自分に言い聞かせてなんとか堪えています。
多分、ぼーっとしたいのはパチンコしたい言い訳。
本当は、毒された脳が未だにあの光と音を中毒的に求めているんですね。


いかがでしたか?

まずは、

貴重な体験談をありがとうございました。

禁パチに向き合う人が背負う闇は、
その人にしかわからない物が多いでしょう。

でも、

人間として行き着く場所、
そういう物をアンリさんは照らしてくれたのではないでしょうか。

私も今回抜粋作業を行ったことで、
改めて多くの学びをさせて頂きました。

これからさらなる躍進を期待せずにはいられません。


今日も財布の金は減らない。

俺の禁パチ人生の展望
まずは「借金問題を解決する」こと。
そして「禁パチ中の暇を埋める」こと。
同時に「仕事の悩みを解決する」こと。
そして「将来に向けたお金の計画」を考える。



にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ギャンブル依存症へ