0%禁パチ我慢

敵対していた者同士が、
時間の経過によって、

「過去の事は水に流そう」

そうやって握手をする話はよくある。
むしろ親友になってしまうような話まである。

きっと、

これが人間の脳の本質なんだろうね。




憎くて憎くて嫌いだった者なのにね。

きっと恋愛なんかで言う「冷却期間」なんだろうね。

もうさ、

俺が何を言いたいかわかるよね。



禁パチも「冷却期間」にしてしまったら?っていう恐怖だよ。

たまに、

「毎回パチンコについてブログを書いていたら結局パチンコを忘れられないでしょ?」

っていう意見をもらう。

うん。

忘れられないんじゃなくて、
忘れちゃいけないの。

「過去の事は水に流そう」

なんてさ、

パチンコに対するそういう感情が芽生えてしまったら、
きっと今までの踏ん張りを一瞬で無駄にして、
地獄に戻るのは「絶対に」避けれない。

最初にも言ったけど、

人間の脳なんて、
時間の経過で薄まるようにできているんだから。



もしも、

俺が大好きなお酒を飲み過ぎて、
大きな失敗をして、固く禁酒を誓ったとしよう。

忘れた頃、
ふとした瞬間に一口だけお酒を飲んでしまった。

思い出す。
酒のうまさ。酒と過ごした日々。酒を飲む快感。

止められるのか?
一口もコップ一杯も一緒だと思ってグビッと飲むだろう。

その次は?
今日だけは酒を飲んで明日から禁酒を再開しようと思うだろう。

その後は?
一日飲むのも二日飲むのも一緒だと思うだろう。

最後は?
地獄を見る。再び大きな失敗をして人生で同じ後悔をする事になる。



・・・

でね、

俺たちはパチンコという物にのめり込む可能性が常にある人種なんだよ。
小難しい言葉を使うなら、遺伝子とかのレベルで、自分の性分の部類なんだと思う。

だってさ、

初めてパチンコをした日、
「そのまま続ける人」と「そのまま二度と触らない人」の差は、
環境なんかも大きいだろうけど、
やっぱり性格がマッチしていなきゃあんな空間には居れないはずでしょう。

俺たちは、
「居れてしまった」
「楽しんでしまった」
「辞めれない日々があった」
わけだ。



そんな俺達が「ちょっとだけ」パチンコしてまたやめるなんてできると思う?
例えるなら「空き腹の時に大盛りのカツ丼を一口で我慢しろ」と言っているようなもの。



パチンコがやめられなくて苦しんだ真っ最中を思い出して欲しい。
「もう二度とパチンコには行かない」
「パチンコなんか大嫌いだ」
と何度決意したことか。

それでも行ってしまう人種なんだよな。




うん。

ちょっとまとめるよ。

俺達パチンコ中毒者は、もうパチンコを知ってしまった。
残りの人生で完全に忘れる事は不可能だと腹をくくる。
ただし、苦しい期間を越えれば踏ん張る力はほとんど必要なくなる。

パチンコやめようと決意するほどの嫌気や地獄を忘れない事。
人間の脳は「過去の事は水に流せる」ような作りだって事も同時に理解する。

「ちょっとだけ」という、たった一瞬の馬鹿な発想が常にスリップの引き金。
絶対にちょっとだけ、一回だけで止められる事はない。
もう一度地獄を味わうまで辿り着く。



っていう事なんだよね。

まぁ、

夢のない話に聞こえちゃうよね。

「一生依存症で、一瞬の甘えに怯える日々」

っていう感じだもんね。

でもね、

これは心構えの話だよ。

実際はね、

パチンコなんか足元にも及ばないほどの、
とんでもない幸せを感じるのが「禁パチ」だよ。

幸せ脳汁が全開で放出されて、
人生がどんどん前向きに騒がしくなるんだよ。


まぁ、


こればっかりは、
禁パチしないと「絶対に」伝わらないのが残念だよ。

ははははは。

そんな幸せな時でも、
「禁パチを決意した日」
を忘れないように。

何度でも言うよ。

だってさ、

「数年禁パチしてて、スリップして貯金していたお金をまた全て失った」
なんていう人を俺の糞ブログをわざわざ読んでくれる人から出したくないからね。

絶対に。



まぁ、

「過去の事を水に流せる」のは、
人間関係だけにしておこうよ。



パチンコに対しては、
「過去の事だと思うなよ、俺は絶対忘れない!」
という気持ちは忘れたくないよね。


今日も財布の金は減らない。

俺の禁パチ人生の展望
まずは「借金問題を解決する」こと。
そして「禁パチ中の暇を埋める」こと。
同時に「仕事の悩みを解決する」こと。
そして「将来に向けたお金の計画」を考える。

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