0%禁パチ我慢

パチンコ動画、パチスロ動画あるよね。

深夜番組でパチンコ番組やってると、
知らない台とか興味ない台でも見ちゃってた俺にとっては、
まぁ刺激的だったよ。

悪い意味でね。

だって、自分でも打ちたくなっちゃって当たり前でしょ。




俺はパチンコ動画を一日見たおかげで、正直また見たくなった。
だってさ、知らない台でも、解説までつけて見せられたら理解できちゃうわけだ。

「このタイミングで赤くなれば激熱なんですよ。いきますよ、おりゃー」

なんていうやりとりも理解できちゃうんだよ。
だって、元々はそういう事をしていたんだから。



そもそもわざわざ動画にするっていう事は、

「出てる所を見せる」

「夢がある所を見せる」

「勝てると思わせる」

という暗黙の使命があるんだろう。



大人数名がさ、
高額なカメラ機材を用意してさ、
ビジネスとして撮影をしているわけだ。

そこに客と等身大のキャラクターを作り上げて出演させる。

知っている者にはおもしろくて当たり前。



もしもだよ?

あなたの普段パチンコしている姿を動画で流したらどうなると思う?

・・・

ね?

それが全てだよ。

「人に見せる為」という力は必ず働いている。



えーとね、
一つだけ言えるのは、

俺がガチでパチンコ動画で稼ぐならば、

「リアリティ」という部分を追求して、
きちんと負ける回を正直に作る。

「この人だって負ける時は負けるんだ」
と思ってもらう。

結果、パチンコ依存症にとっては勇気をもらえると勘違いしちゃうよな。

悪い意味で。



ほらね。

簡単だよ。

俺みたいな依存症で中毒者だった人間を騙すのは容易。

もちろん「店と繋がりはありませーん」って顔するよ。

大人の口裏合わせがあるかないか知らないけどね。



わざわざパチンコ動画を作る意味って何だと思う?

趣味とかボランティアじゃないと思うけどね。

真相は知らねーよ。

俺の勝手なイメージだとでも思ってくれればそれでいいです。



と、まぁ。

パチンコ動画を見る機会があって、結構色々覗いたわけだけど、

すごいよ。

禁パチ以前の自分が好きだった台、

光や音、ホールの雰囲気、それがリアルに疑似体験しているような錯覚。

ヘタクソだな。俺にやらせてみろ。

いつ本気でそう思ってもおかしくないような毒々しさ。



いいか。

俺は、パチンコ動画を見てしまったら、
パチンコ脳からの脱却を失速させる。

いや、むしろ逆行させる。

地獄から近い位置で生きる事になる要素が多すぎる。



一番怖い事を教える。

「1円パチンコしかやらないから大丈夫です!」
「打ちたい欲求をパチンコ動画で発散してます!」

この発想。

そして、自分ではそれで本当に良いと思っている。

絶対に一時的な解決策にしかならない。

「油断」「魔が差す」「嫌なことがあった」「ちょっとだけ」「甘え」「臨時収入」「誘惑」

という物があった時、重なった時、簡単に地獄に戻る事になる。

パチンコの毒が脳に残っている状況が一番怖いんだ。



あのね、

禁パチを踏ん張る踏ん張るって言い続けてるけど、
具体的に何を踏ん張っているのか。

「打ちたい欲求」

だけじゃないよね。

今回の俺のように踏ん張る時は「パチンコ動画は見ないようにする」という物だって含めて「踏ん張る」なんだよ。

禁パチを決意した時の気持ちを簡単に忘れないように「踏ん張る」なんだよ。



コメント欄には俺なんかよりも禁パチの先輩が大勢いるんだ。

それに、最初に決意した日から度々コメントをし続けてくれる人。
そんな人が確実に幸せになっていくリアルがある。

俺がもしも動画を作るなら、真っ先にそういう人の動画を世の中に発信するけどね。


えーと、

だから、

結局はさ、

打つ側と打たせる側なら、
どっちが儲かるの?

って事なんだよね。

そして、動画を見る側はどっちなの?

ってね。


今日も財布の金は減らない。

俺の禁パチ人生の展望
まずは「借金問題を解決する」こと。
そして「禁パチ中の暇を埋める」こと。
同時に「仕事の悩みを解決する」こと。
そして「将来に向けたお金の計画」を考える。

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