0%禁パチ我慢

スリップ手前の人へ。

もうね、パチンコ中毒だったから色々な物を感じ取る力が落ちてるんだろうね。

パチンコ打ってると判断能力も底辺まで落ちてると思う。

望んでたいた物よりも、

単純な打ちたい欲求だけが見えてしまうんでしょ?




刺激に慣れちゃって、

大きな音と派手な光でも出さないと伝わらない脳みそなのか?



パチンコをやめたいと思ったきっかけを思いだせよ。


泣きながら歩いた帰り道、

日給を30分で失った日、

たった3日で20万負けた日、

生活費をパチンコに費やした後悔、

パチンコ優先の嘘付き人生。


こういうような最低な経験をしたんでしょ?

自分の中に「もう絶対に二度とパチンコに行かない」と決めた日の気持ちがあったわけでしょ?




禁パチすると、

お金が減るスピードはぐっと減るし、時間にも余裕ができる。

さらに「精神の安定」だって手に入る

このなんでもないような人並みの状況がどれだけ幸せな事か気付けない。

二度とあの後悔の日々を送らなくていい現実が、どれだけ望んだことなのか気付けない。




刺激と現実逃避の渦中に浸っていた人生。

常にお金の計算してさ。

財布の軍資金の捻出に忙しい。

負ければATMだ。

勝っても負けた分の補填だ。



禁パチを覚悟してそんな生活から抜け出したんだよね?

それなのに、

出てくる感想は

「打ちたくて仕方ない」

だけなの?

たしかに「行きたい」は認めるしかない。

踏ん張るのも相当な苦労をする。



でも、



少しの期間でも行かなかったおかげで、

「やっぱりパチンコしなければお金が余る」

だとか、

「負けて後悔する日がなくなった」

「家族や友人との時間がとれる」

「好きな物がちゃんと買える」

「食べたいものが食べれる」

という喉から手が出るほど望んでたメリットが見えなくなっているんじゃないの?

「絶対に負けることのない日々」

という幸せ。

そんな平凡じゃ刺激が物足りない?

何年も毒々しい刺激で脳を痛めつけてきたからね。



これさ、


もっと意識して気付いていくべきだよね。

世の中悪い物の方が目立つでしょ?

だから、

禁パチはストレスがすごいっていう部分だけ見ちゃうのかもね。

本当は少しづつ前進しているのに、まるで見ようともしないで

「行きたい感情」を撃ち殺すような考えで禁パチを辛いだけだと錯覚する。



他にも、

禁パチしても「思ったより金が貯まらない」とか。

貯めることの大変さも実はきちんとわかっていないんだよな。

貯めるのは大変だけど、

使うのは簡単。

それがお金なんだよね。

ただ確実なのは、

パチンコをしていたらなくなっていたはずのお金は確実に残っている事実。



これも意識しないと気付けないんだろうね。

禁パチすれば月収が増えるとでも錯覚しちゃってんじゃないの?

中毒者の脳ならあり得るけどね。




だからさ、




「行きたい」を踏ん張っている日々の辛さは俺も認めるよ。

本当に覚悟しないと乗り越えられない。

でも、ただ辛さだけを見るんじゃなくて、実際に得ている物を見る努力も必要だって話。



あれ?

パチンコ行きたい欲求は辛いけど、

今月は○円貯金できたし、絶対に負ける日はこないし、悪くないかもね。

ってね。


もう一度言うけど、

世の中さ、

良い部分は見えにくいんだよな。

さぁ、

禁パチを踏ん張っている力以上に、

幸せを噛みしめてしまおうぜ!


今日も財布の金は減らない。

俺の禁パチ人生の展望
まずは「借金問題を解決する」こと。
そして「禁パチ中の暇を埋める」こと。
同時に「仕事の悩みを解決する」こと。
そして「将来に向けたお金の計画」を考える。

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平井正修
幻冬舎



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