0%禁パチ我慢

禁パチしているモチベーションにある一つの大きな理由。

「パチンコなんてみっともない」

という感情。

だから思いっきり想像してほしい。

自分がパチンコを打つ姿を。




店に入って行く時の顔。

どこか冷静さをキープしようと必死でさ、

狙い台まで全力疾走したい気持ちを抑えてさ、

糞みっともないだろうね。



台を選ぶ時の顔。

何見たってどうせ勝てないくせに、ちゃんと選んでるふりしてさ、

出る何かを確信したような余裕をかましてさ、

糞みっともないだろうね。



金を入れる時の顔。

命と同じぐらい大事な金をこれから賭けるんだぜってさ、

しわくちゃの1万円札をサンドに投入してさ、

糞みっともないだろうね。



打っている時の顔。

出ろ出ろ出ろと念じてさ、

何度も足を組み替えてタバコをふかすその姿、

糞みっともないだろうね。



出玉を流す時の顔。

何発あるのか!?何枚あるのか!?って心で必死でさ、

少ない脳みそで必死に換金額を数えてさ、

糞みっともないだろうね。




レシートをカウンターに持っていく時の顔。

いつもはもっと出すんだぜ!と言わんばかりの不満顔でさ、

余り玉で何をもらうか決めてるくせに、悩んでいるふりしてさ、

糞みっともないだろうね。




換金所に向かう顔。

後ろの人に換金額が少ないのを隠そうとしてさ、

受け取ったらソソクサと逃げるように早歩きしてさ、

糞みっともないだろうね。




帰り道の顔。

すでに明日の出そうな台を勝手に予想しながらさ、

今日は寿司か肉かなんてウキウキしちゃってさ、

糞みっともないだろうね。




こういう自分。

客観的にさ。

想像してみなよ。

こんな恥ずかしい所見られたら顔から火が出るよ。

普通の人なら。


あくまでも


普通の人ならね。



だってさ、例えば履歴書の趣味にパチンコって書く人がいないのはなんでなの?

ねぇ?

なんでなの?

普通の人じゃないって言っているようなものだからでしょ?



そういう遊びなんだよ。



そういう遊びを何年も続けるとどうなると思う?

ねぇ?

どうなると思う?

簡単にやめれると思っていたのに自分が依存症だって気付くんだよ。



苦しいね。

苦しいよね。


そんな時に自分がアホ面してパチンコしていた顔を想像してみなよ。

憎い。

憎い。

自分を責める。

自分はダメな人間だと、自分でレッテルを貼る。

自己嫌悪に陥って、人格や精神や健康までも崩す。


でね、

ある日やめる決意をするよね?

・・・

でもね、

スリップしちゃうんだよ。

覚悟が足らないから。

あー

もっと自分が嫌いになるね。

やめようと誓ったのに、やめられなかったね。

もっと強い自己嫌悪に包まれる。

こういう生活がループするとどうなるのかな?


俺の場合はね、

怖くなってさ、わけのわからない冷や汗が体中から吹き出すんだよ。

食欲ゼロで気力もゼロ。

悲劇のヒロインでよく聞くようなセリフだけど「世の中全て敵」だよね。

それに、もっとひどい症状も出たしね。


でも、

そういう生活から現実逃避しようとしてまたパチンコに行くんだから完全に奴隷だったんだね。

店からみたら、こんな忠実な奴隷はいないもんね。

・・・

俺は今でもこういう奴隷だった日々の自分自身の姿を想像する。

嫌な気持ちもあり、

憎い気持ちもあり、

過去のことに感じれる部分もある。

とりあえず今でもまだまだ油断せずに

そうやって前に進むんだ。


今日も財布の金は減らない。

俺の禁パチ人生の展望
まずは「借金問題を解決する」こと。
そして「禁パチ中の暇を埋める」こと。
同時に「仕事の悩みを解決する」こと。
そして「将来に向けたお金の計画」を考える。

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